| 2004年09月28日(火) |
すごいよ!ル・クルーゼ |
【前回までのあらすじ】お鍋がおいしい季節になりつつあるのを痛感したきよこは、長年あこがれていたル・クルーゼの鍋を購入したのだった。
初おろしこそそばだったが、だんだん調子がのってきて、いろいろと煮込んでみた。
おどろくほど簡単に野菜がやわらかーく煮えちゃうことにかんどー!
なんでもかんでも刻んでル・クルーゼにほおりこんでしばらく弱火でことことやると、それだけでもう、おいしい何かができちゃうんだ。
うーん。まーべらす。
テレビをつけたら音楽番組で、宮沢りえさんがドラマの宣伝のため、コメンテーターとして出演していました。
そして、ゴリエの『MICKY』を聴いて一言。 「ゴリエとりえ、名前が似ていて、なんだか親近感があります・・・・ごめんなさい!面白いこといえなくて」
いやいやいや、何てかわいらしい人なんでしょうね! 面白いことなんてだれも求めていないのに。 彼女ほどのビックな女優さんになれば、もう、存在だけで全然アリなんです。なのに、周りに気を使って、楽しい一言を言おうとがんばるなんて、ものすごくいい人!
世の女の人は学ばなければならないです。 こういう謙虚さ。
この前、びっくりしちゃったのが、コンパで男の人が「どんなお仕事しているんですか?」って質問したのに対してのある女の人の受け答え。
「えー。何しているように見えますか?」 「・・・・うーん、わかんないなあ。でも、ガソリンスタンドで働いているっていう感じじゃないかなあ」という答えがお気に召さなかったらしい。 (ガソリンスタンドで働くなんてそんなことを考えること自体間違っているというわけ)
「えー。ちょっとそれって失礼じゃないー! 私あなたみたいな失礼な人に会ったの初めて!」と、えらい剣幕でまくしたて、相手の人、たじたじ。
でも、はためから見れば、どう考えても失礼なのは彼女のほうでした。 初対面の人の何気ない一言にくってかかるなんてちょっと大人気なかったです。 大体、質問に質問で返すあたりが傲慢です。 そんなにもったいぶって当てさせるほど相手は知りたがってないということに気づかないあたりが寒いし。
きっと、これまでもそういうイタイ空気をかもしだして、そのたびに周りの人に大目にみてもらってきたんだろうなあ。(本人だけはそうとは気づかずに・・・。) こういう人は周りの人にとってもちょっとイタイし、本人にとっても不幸ですね。 女だということに胡坐をかいて、ちやほやされるままにわがままになってしまっては、女の魅力を浪費するばかりで、いつかその魅力も尽きるというものでしょう。 くわばらくわばら。 人のふり見て我がふりなおすの巻。
あんまりにも部屋に差し込む日差しが気持ちよかったので、おもいがけず働き者になる日曜日。 ふとんを干し、洗濯をして、トイレと台所をぴかぴかに磨き上げて大満足。
この前買ったルクルーゼの鍋をおろしてそばをゆでました。
「いつかほしいなー」と憧れ続けていた、ルクルーゼ♪ どっしりしていて、かわいくて、にこみ料理がおいしくできると世界的にファンの多いメーカーですが、お値段もいいので、ずっと二の足踏んでいたのです。 最近寒くなってきて、おいしいスープや煮物が食べたいっと思い切って買っちゃいました! でも、ずっとずっとほしかったルクルーゼの初おろしがそばなんて・・・。
そんな自分にがっかりです。
そろそろお鍋だけじゃなく、この南国風の部屋も冬支度しなきゃなあ。
| 2004年09月21日(火) |
バガボンドが気になって |
『バガボンド』の続きが気になって、お昼休みに図書館に行った。
実は図書館に全巻そろっているんだよね。 しかし、昼休みと言えども、たいてい提出ノートをチェックしているか次の授業の準備をしているので、図書館に行って読むなんて初の試み。
あったあった18巻。 えらそうに貸し出しカウンターの一角に陣取って、18、19巻まで一気に読み終えました。
ふー。 おもしろいなあ。 斬る斬られるの世界が殺伐としてしまいそうになるのを、ちょっとしたユーモアや、登場人物の人間味で救っている、気持ちのいい作品です。 この作者の人は構成力、画力、どこをとっても超一流で、すごいなあ。
「先生、こんなとこでなに漫画よんでるの」
はっ。 いや、あの、バガボンド、面白いよね。うん。
| 2004年09月19日(日) |
芥川龍之介『侏儒の言葉・西方の人』 |
芥川龍之介は顔が好き。 やさおとこ風で、いかにも肉体労働に向かない感じがいいです。 天才肌なところもかっこいい。
でも、いまいち文章は好きじゃないんだなあ、という思いを新たにしたこの一冊。 「侏儒の言葉」は筆者の本音の呟きです。 ほかの作家のこういう本と比べて、あまり感心しなかったのに自分でも驚いて、なぜなのか考えてみた。
『羅生門』は今でも高校1年の現代文の教科書に載っているけど、細部まできっちりと構築されたあの作品はまったく隙がなく、しかも描写が読み手にとってこれ以上なく親切です。
だから、私は芥川龍之介は、理知的で、精密な文章を書く作家だという思い込みがあったのかもしれない。
ところが、この作品では、まったく記述が不親切です。 言いたいことがわかるような、わからないような。あのことを言っているのだろうか、それとも他のことなのだろうか。真意掴みかねるといった感じ。
つまり、きっと、人に理解されることを目指してかかれたものではないということなんだろうな。 ぽつりとした呟きです。 筆者の遺稿ということもあって、かなりニヒリズム入ってるし。
それでも、気にいったフレーズをいくつか。
「忍従はロマンティックな卑屈である。」
「わたしは度たびこう言われている。――「つれづれ草などは定めしお好きでしょう?」しかし不幸にも「つれづれ草」などは未嘗(いまだかつて)愛読したことはない。正直なところを白状すれば「つれづれ草」の名高いのもわたしには殆ど不可解である。中学程度の教科書に便利であることは認めるにもしろ。」
「我我を恋愛から救うものは理性よりも寧ろ多忙である。恋愛も亦完全に行われる為には何よりも時間を持たなければならぬ。ウェルテル、ロミオ、トリスタン、--古来の恋人を考えて見ても、彼等は皆暇人ばかりである。」
タイトルの「侏儒」という言葉なんですが、見識のない人という意味なんですって。 芥川龍之介ってほんとに自虐的だよなあ・・・。
作品タイトルを見ても、『戯作三昧』に『或阿呆の一生』だもの。 そして、「ぼんやりとした不安」を理由に自殺してしまうのだから、天才は大変だ。
凡庸であるということは自分の愚かさにに気づかない才能だな。
同著収録の「西方の人」とは、イエス・キリストのことです。 意外なことに、筆者はキリストに強い関心を持ち、かなり研究していたようです。(そういえば、『奉教人の死』なんて作品もある) 信仰としてではなく、あくまで社会の中でのイエスの立場、彼を取り巻く人のもつ意味、キリスト教信徒の心理などが興味の対象で、ドライな感じで書いています。
| 2004年09月18日(土) |
『バガボンド』�ぁ銑� |
女業を休業しているなあ、と実感すること”美容院に行く暇が惜しい” もういかなきゃなあ、と思ってから優に2週間は経過しています。 もじゃもじゃもほどがあるので、しぶしぶ美容院を探します。 行きつけの美容院もありません。
毎回行き当たりばったりで行って、2,3回は通うのですが、どうも居心地悪くなってしまう。美容院づきあいが悪いんです。
と、いうわけでタウンページを開いた。 適当な美容院に電話をしたら、すぐやってもらえると言うので行ってみた。 なんだかレストランみたいな洋館風のお店。 気のいいお姉さんに注文をしたらあとはまな板の上の鯛になる。 『バガボンド』が目に入ったので、そっちに夢中。 「読むの早いですねー」なんて言われながら、面白くって9巻まで読んだんだけど、残念なことにそこで髪の毛のほうが出来上がってしまった。
バガボンド熱に火がついてしまったので、その足で漫画喫茶に行く。 「さてさて、バガボンド〜」 と、見ると、ない! バガボンドの��〜��がない! なにをー!! この前『蒼天航路』を読みに来た時は、『蒼天航路』21巻から24巻しかなかったし。 やる気あるのかしら。
よほど私はついていない。と諦めかけたけど、それでも、と戻ってみたら、ありました!わーいい、漫画の神様ありがとー! そこにあった17巻まで読み終えてとりあえず今日の使命は果たしたな、と。
今年とくに雨がよく降ります。 台風もたくさん来たけれど。 よく雨が降ります。 こうして雨が降るたびに寒くなっていくなあ。
この街の夏の短さにはなれたつもりでいるのですが、それでもやっぱりこの時期に雨が降ると、遠ざかる夏を思い、おセンチになったりしてしまいます。
そして、もう一つの感慨。 雨に降られることがなくなったなあ。
子どものころなんて、台風で傘の骨が折れちゃったり、靴の中ずぶぬれになって歩くこと、けっこうあったのに、最近そういうことないなあ。 便利と言うべきか、季節感の欠落と言うべきか。
雨は教室の窓から眺めたり、車の中から流れるしずくを見るばかりです。
傘を持たなくなってどれほどになるだろう。
簡単に見えることを深く、複雑なことを単純に示すことが教師の仕事だとしたら、絵本は本当に優れた教材だと思います。
今日は読みきかせの研修会に参加して、たくさんの絵本に触れました。 大人になって初めて気付いたけれど、ほんっとによく仕組まれて1冊の絵本ができているんだなあ。
深いよっ。
そして、自由だねえ。
私自身は絵本を面白がれないつまんない人間だけど、絵本を使って、たくさんのことを子どもに伝えられるなあってわくわくした。
今日の研修には演習もあって、全員が実際に絵本を持参して読み聞かせをした。 私が選んだのはスーザン・バーレイ『わすれられない おくりもの』です。
村の知恵袋のアナグマが寿命で死にます。周りのものは悲しみ、沈み込みますが、やがて、アナグマの残してくれたものに気づき悲しみを乗り越え、その死を受け入れていきます。
死は身近で経験しなければ、その深刻さや絶対的な存在感を想像することは難しいです。
少子高齢化、核家族化、またはもろもろの今日的な要因が影響して、子どもの命の尊さを実感として感じる感覚が鈍くなってきています。
それでも、死というものを正面からとらえ、きれいごとで終わってしまわないために、この絵本は大きな助けになってくれるはずです。
文化祭がありました。 クラス合唱、ミニ運動会。意見文発表会。 2日間にわたってのお祭り騒ぎです。
私はただ一人の観客になってステージを眺めながら、子どもたちのことがもっとずっと好きになるのを感じました。
教室では見られないはつらつとした顔。 堂々とした姿。 のびのびと笑う声に、私もつられて笑顔になっていました。
勝手に涙がぽろぽろこぼれました。 少し元気が出ました。
いつも授業では物静かに私の話に耳を傾けているH君。 吹奏楽部のステージでは、スポットライトを浴びて堂々と伸びやかなトランペットの演奏を響かせていました
。思わず目を見張るかっこよさ!・・・・・ちょっと惚れてたかしらと思ったのですが・・・・・・
今日のH君、友だちにおんぶされてきゃっきゃとはしゃいで階段を下りてきました。
あらあらあら。 あの勇姿はいったいどこに行っちゃたのかしらん。
| 2004年09月04日(土) |
『幻想水滸伝�検戞船押璽沺疾豌福� |
このシリーズに新作が出ると、やっぱり手を出してしまうんだなあ。 ゲームなんてしている時間ないから・・・と、思いつつ衝動的にレジに持って行ってしまったのですよ。
買ってしまったものはしょうがない。 せっせと進めます。 攻略サイトを横目にサクサク進めます。 フィールドをうろうろしたり、ミニゲームで小金を稼いだりする暇がないのだから味気なくなったものです。
最短ルートで108人の仲間を集めて、クリアしました。 うーん。やっぱり私の中で『幻想水滸伝�供戮鯣瓦�ものではなかったなあ。
結局ゲームに何を求めるかっていう問題なんだろうけど、『�検戮蓮▲哀薀侫�ックの美しさと誰にでも楽しめるということを重要視しているということなんだと思います。 誰にでも楽しめる、ということは裏返すとストーリーが単純ということです。 物語は流れていくけれど、そこに必然性とか奥行きが感じられないから、感動もなく・・・。 よくわかんないけどラストダンジョンで、強制的に戦闘に入ったからこいつがラスボスなんだろうなあ、みたいな印象。 3Dのグラフィックは美しいけど、そんなものは3分でなれちゃいます。後に残るのは、めんどくささ。 3Dはぐるぐるまわって目が回るよう。うまく移動できなくてぐるぐるしているうちに敵とエンカウントして「キーー!!」私ったら、始めてから10時間ぐらいR1(高速移動)ボタンの存在を知らなくて、のろのろ歩くばかりで話しがなかなか進まないなあって思ってました。
このシリーズの流れから言うと、戦闘システムは�兇泙任侶舛北瓩辰謄汽�サク楽ちん。 でも、敵の種類の少なさと、ダンジョンのこの少なさってなんなんだろう。戦ってて全然面白くないです。
紋章は種類が今までより少ないし、上位紋章が限られている、個性のあるキャラクターが作れないんです。 ムービーとか声優さんの声とかもっと減らしてストーリーがそのぶんもっと複雑だったらなあ・・・と、思いつつ、極端にその方向に走ると『アンリミテッド:サガ』になっちゃうんだろうなあと苦笑。
面白いゲームってないものかにゃー。
献血50回を達成しました!
わー。ぱちぱちぱち。
私が初めて献血をしたのは高校1年生のときです。 学校に献血車がやってきて授業をさぼれるということと好奇心でわくわくして腕を差し出したものでした。
とっても田舎の街だったので、献血ルームなどというものはなく、1年に1度高校に献血車がやってくるのを心待ちにしていたものでした。
なので、大学に入学して、キャンパスから自転車で3分のところに血液センターがあり、いつでも献血しに行っていい、と知ったときは青天の霹靂。 「まじっすか!」と、献血道に火がついて、空きコマを利用してはせっせと献血に通ったものでした。
「ありがとう」という看護婦さんの一言にボランティア精神をくすぐられ、ただジュースにいやしさ丸出しで献血道に邁進しまくっていた私は、布教活動にも熱心で、ことあるごとに献血の楽しさを説いていたりしました。
ある時友だちが、献血をしたことがない、というので「えー!やってみたらいいのにー」と、いつもの調子ですすめました。
すると「うん。でも、昔事故に遭ったときに輸血を受けたことがあるかから・・・」 「え、輸血を受けたら献血しちゃいけないの?」 「絶対しちゃいけないっていうわけじゃないのかもしれないけど、でも、絶対安全って言い切れるわけじゃないからね」
ああ、献血をするということは自分の血を責任を持って人に使ってもらうことなんだなあ、と、初めて思いました。 “献血したいからする”というそれまでの私は無責任だったなあって。
そう思うと、軽はずみに献血なんてできないもので、ピアスの穴を開けた時とか、体調が悪い時期はしばらく献血はしないようにしてきました。 だから、価値ある50回なんだ♪
その友だちとはもう何年も会っていないけど、今は千葉県でお医者さんをしているという話しです。
| 2004年09月02日(木) |
『LENNON LEGEND』 |
ジョンレノンが聞きたい、そんな季節です。 どうも、きまぐれではなくそんな気がしたので『LENNON LEGEND』を買ってみた。
ジョンレノンをはじめてちゃんと聞いたのは、大学1年のちょうど今頃だった。 寮の友だちに借りたCDをテープにダビングさせてもらって、自分の部屋で聞いていたとき、半袖の腕に,残暑というには肌寒い風が吹いていたのを覚えている。
『Imagine』『LOVE 』『WOMAN』『HappyXmas』やっぱこれだな。 レノンサイコーだぜ。
でも、私が一番好きなのは『Watching the Wheels』 曲もいいけど、詩もいいよ。
子育てのために一線を退いていたころのジョンレノンが、 「俺は世の中の歯車が回るのを傍観しているのさっ」と斜に構えて言いつつも、ちょと寂しげな感じがなんとも人間っぽくっていいんだな。
「I’m just sitting here watching the wheels ground the round . I really love to watch them roll. No longer riding on the merry-go-round. I just have to let it go on.」
| 2004年09月01日(水) |
『ダヴィンチ・コード』のWA! |
あんまりにも面白かったので3年生のあるクラスで『ダヴィンチ・コード』の話をした。 とても面白くって、目を赤くして一気に読んじゃった、って。 そしたら、女の子の一人が「先生、『ダヴィンチ・コード』読んでみたい!貸して」って言ってきた。 「あらまあ、興味持ったの。」 けっこう難しいよって言ったのに、好奇心旺盛でいいじゃないの。 まあ、読んでごらん、ぐらいの気持ちで貸してあげた。
しばらくして、男の子が「先生、『ダヴィンチ・コード』を読むために、キリスト教についてどんな勉強をしたらいいんですか?『ダヴィンチ・コード』買ったんです」と言ってきた。 「うーん、聖書、読んでみる?」
ほかの子が「あの、修行僧の人たちが、革のベルトで太股を締め付けるのはなんでですか?」と、これまたダヴィンチネタをふってきた。
ずいぶんと興味をもって、しかも借りるなり買うなりして読み始めている生徒が多くてびっくりした。 『ダヴィンチ・コード』は難易度や、ジャンルからして決して中学生向けの小説ではないので、私は生徒に読ませようってつもりで紹介したんじゃなかったんだけどな。 むしろ、生活感や興味からかなりかけ離れているであろうその本を紹介することに抵抗を感じつつ、あまりにも面白かったから話さずにいられなかったというのが正直なところ。
中沢先生が以前言っていたことを思い出します。 「私はかならず授業には本を持っていきますが、それは中学生向けだとかは考えません。 そのとき読んでいる本だとか、面白いと思った本を持っていきます。」
大人の目から見て、その年頃にちょうどいい、お誂え向けの本というのは、子供たちにとっても面白みにかけるのでしょう。 大人の目から見ても掛け値なしに面白いと思える作品は、難しかろうがなんだろうが、子供たちをひきつける何かがあるのです。
そして、多くの場合、よくわからなくても、背伸びしながら読んだほうが心に残る読書体験になるような気がします。
いい子ちゃんの読書は教科書だけで充分だ。
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