今日歌を録っていただいたエンジニアさん、いつもすごく歌を録るのが上手で、いつも僕の実力以上に聞こえる様に録ってくれます。今回も、だいたい僕は自分の歌や声を聴くのが嫌いなんですが、「聴いていたい」と思う様に録っていただきました。いつか自分の作品集でも歌録りを頼みたいですね。偉くなるぞ!おー!
さらにスタジオのヴォーカルブースが歌いやすく、イラクでは戦争。それはだめな事じゃん。って訳で、大変楽しい仕事をさせて頂きました。
北の方でテレビを見る機会のある方は観てね!
| 2003年03月19日(水) |
僕は禿げる…でもカツラはいかがなものか |
禿げた人がかっこよくあろうとしてかぶるカツラ。はげでないように振る舞うためのカツラ。かっこよくなくてもかぶる。カツラをかぶってかっこ良さを守っても、カツラをかぶってる事がばれるとかっこわるい。
「禿ですよ」と公表せず、みんなに秘密でかつらをかぶっている事が、トータルでかっこいい事ってあるんだろうか。僕は考える。例えば父がカツラじゃなくて良かったと。身内にカツラの方がいるだけで、随分と話してはならない語句が増える事は必至だろう。
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やはり良くできたカツラは弱点にしかならないのか。だのになぜ禿を隠さず進むという道を選べない禿の方がいるのか。芸能の方はなんとなくわかるが、それ以外でカツラをかぶる理由はなんなのだろう。 そんな人は誰も答えてくれないんだろうな。禿であることは秘密なんだから。 できれば匿名で 非国民掲示版に書いて下さい。大変気になります。 最近、祖母が亡くなって熊本へ帰りました。その模様については追って描きたいと思います。『百年間。明治、大正、昭和、平成と激動の時代を生き延びた「ボス猿」の死に親戚一同は…』の一本です。お楽しみに。 |
| 2003年03月12日(水) |
だから何といわれれば |
仕事で行った先のトイレで歯を磨くおじさんに会った。僕がトイレに入っていった時、彼はちょうど磨き粉を歯ブラシにつけ、水をかけて口にくわえようとしていた。この間観たテレビで歯磨き粉をつけた後の歯ブラシには水をつけない方が良いと言っていたので、最近何とはなしに守っているのでなんだか気になったが、かといって何かいうのも変なのでそのまま通り過ぎた。
便器に向かって用「を足そうとしたが、自分が見た景色に何か違和感を感じて振り向いた。彼は歯ブラシを濡らしながら何かを噛み、飲み込んでいるのだ。おにぎりか何かを食べて、飲み込む前に歯を磨こうとしているのだった。
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生きた証や実感は湧かないが、死は事実になる。分かりやすい死を結論にする事は馬鹿げている。 でも死に場所を探している自分は東京に出てきてからどうしても眠らない。「眠れない夜が明けても」という曲はその様な背景も孕んだ曲だ。
死ぬべき場所を見つけた時、服を脱ぐようにそれを選べるように生を大事にしたい。
一酸化炭素で死ぬのは楽だという馬鹿げた嘘がネット上で実しやかに囁かれているらしい。一番楽なのは凍死という説もある。凍死に一票入れつつ、僕は討ち死にを選びたい。
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北朝鮮の工作員は独りで自衛隊一小隊分を壊滅できる能力を持つという。しかも日本国内に百人単位で潜り込んでいるらしい。できればその片腕でも叩き斬って、十分の一小隊分ぐらいを殺して、更に欲を言えば「モーパラに行けば美味しい物が食える」位の事は伝えて思いっきりモチベーションを下げて死のう。死は最高の芸術たり得る場合がある。しかしそれは一番のエンターテイメントでなければならないとも思う。そう出来なければ、身寄りに見捨てられて死んでしまう事となんら変わらなくなってしまう。転んで笑いを取ろうとして「クスリ」とも笑われず、打ちどころが悪くて死んでしまう人と変わらないだろう。
「死して屍、拾う物なし」 そんな物、拾わなくていいから、忘れないでね。
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まだまだ死ぬつもりはないけど…。
来やがったな。返り討ちにしてくれる。やあやあ我こそは…!
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| 2003年03月04日(火) |
ありえない(肥後もっこす東京支部) |
「ありえない」という言葉が若者の間で流行り始めて随分経つ。実際良く耳にするし、別段不愉快ではないのだが、何もかもに「ありえない」とばかり言っている者を見かけた時にはさすがに気の毒に思った。ありえなくないことも「ありえない」と言うので面白くなって「俺はお母さんから生まれた」とか「俺右利き」とかさも珍しい事の様に言ってみたりしてからかった。条件反射の様に重ねられるその音にはもはや「ありえない」という言葉の持つ本来の意味はなかった。
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日本人が積み重ねてきた美しい言葉の流れは今の親の世代でせき止められたのだろうか。若者は会話の中で反応の速さやノリばかり求められるせいもあってか短絡的な言葉が幅を利かせて来た。伝統を捨て、過去も誇りも否定したこの国の一部の者は、言葉までリセットしてしまった様だ。少なくとも一般の生活で美しい言葉に出会う事は少ない。最後の頼りの教育はどこまで行き届いているのか、若者はまだ徒然草や今昔物語、枕草子の始まりを諳んじて言えたりするのだろうかと心配になる。
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「ありえない」と同じくらいに耳にするが、流行りというにはオーソドックス過ぎる言葉がある。それは「クソ」で、本当に色々な人が使うのを耳にする。「あいつはクソだ」とか「クソな〜」という様に暗喩的にまたは形容詞的に使われる。少なくとも三年前にはここまで多く聞かなかった言葉なので、やはり一種の流行りなのだと思うが、一刀両断「クソ」といわれるとすっきりする気持ちと「クソ」と言われた対象に対して気の毒に思う気持ちが入り乱れる。
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「価値のないもの」という意味でも「臭い物」という意味でも「クソ」はあまり的確な言葉とは言えない。しかし、この言葉のすごい所はそれを発する人間の対象に対する悪意のみを恐ろしくダイレクトに伝える力を持っている所だろう。その悪意を誤解や解釈の違いを介入させる事無く伝えるこの言葉は、実は言葉の負う一番目の役目を百パーセントまっとうしているのかも知れない。
「ありえない」と「クソ」。この二つの言葉が意味以外に伝える物は正反対だ。かたや流行りやノリを共有する事を目的とした曖昧な言葉、かたや贅肉を削ぎ落とした感情を極めて単純にダイレクトに伝える言葉。二つとも積み重ねた日本の言葉の美とは無縁で動いている流行りだし、過去とはある程度切り離されて形成されたはずだ。
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日本の言葉の歴史が止まったとしたら、新たにここから始まるのかもしれない。 しかし、今自分たちが美しいと思っている言葉の歴史のルーツが、「ありえない」や「クソ」の様な言葉だったら…。
ありえない
…こともない か?
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