山作戰 ��(高)山 |HomePage

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僕は禿げる。(中略)それでも歌を聴いてくれますか?
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2003年11月28日(金) 放射線

 作戰本部のすぐ近くに小学校があるせいで朝夕と登下校の子供を見掛ける。今でも縦笛をふきながら帰る子がいるのだなと感慨にふけったり、次の電柱まで息を止めて走る酔うな子はいないだろうかと探したり、本部の窓から見下ろして楽しんでいる。良く分からない曲を歌いながら帰る子も希だがまだいるし、この付近は実は意外とましな、「昔ながらの登下校風景」の面影が残っている気にもなる。

 最近奇妙な「とうりゃんせ」を耳にした。「♪ちょっと通してくだしゃんせ♪御用のないもの放射線♪」というものだ。世知辛い様な、無邪気な様な、不思議な気持ちになった。


2003年11月19日(水) 君 死に給う事なかれ

 山手線に大変背が高い白人の方が乗っていた。他にも5〜6人白人の方が乗っていたが、一際背が高かった。20cm位は飛び出ていた。僕は「木を隠すなら森へ」という言葉を思い出したが、浮かんだ景色は森の中に一本だけ高い木が生えているものだった。やはり目立っていた。渋谷で頭を窮屈そうに屈めながら降りていった。
 以前見たテレビで日本へ来た背の高い外国人が日本人の家に上がるたびに鴨居に頭をぶつけ、最後にはそれが原因で死んでしまったという話を「嘘のような本当の話」みたいなくくりでやっていた事を思い出した。


2003年11月18日(火) ブラウン管と暖房器具としての液晶テレビについて

 ブラウン管について調べたらこんなページが出てきました。素敵だ。これでブラウン管が分かる!これから液晶の時代だと言われている様なのに今さら…。(「このアパーチャグリルを最初に利用したブラウン管が、sonyのトリトロンカン管である」という誤植が可愛い)
 昔、東京映像芸術学院という所に通っていた時、ハイビジョンがまだ実験段階で壁掛け液晶TVも実用化できないという絡みの話を聞いた事がありました。ろくでもない学校で当日行ってみると休講のお知らせが貼ってあったりしました。新聞配達をしながら通っていた僕は何度目かこういった事があったある日堪忍袋の尾が切れてやめました。
 そこで聞いた液晶テレビが実用化出来ない理由というのが、「液晶の発熱」で、大きくすればするだけ熱が出て暖房器具のようになってしまい家庭に置けないとの事でした。

 最近家電量販店で触ってみたらでっかい壁掛け式液晶テレビも別段熱くなくて暖房には使えなさそうでした。


2003年11月12日(水) 臭い女、臭いせず

 今朝「臭い女」に会いました。臭いの帯が消えていました。まさかこの文章を読んだ訳ではないでしょうが、意外でした。何が起きたんでしょう。大概は朝、外苑西通り(首都高目黒線の高架下)をまたぐ横断歩道で信号待ちをしている時に追い越す形で会う場合が多いんですが、大概その大通りに出る前に匂いでその存在に気付いていました。しかし、今日は気付かなかった!

 これで子供の嗅覚が正しく機能するようになるかは疑問も残るところですが、まああの強烈な匂いを浴びつづける状況よりは随分と改善された環境で生きられる可能性が出てきたと言えるでしょう。たまたま香水が切れただけでまた給料日以降にさらなる匂いの帯に包まれる…、なんて事がなければよいのですが…。


2003年11月08日(土) 臭い女

 更新するぞ週間は8日で終了していまいました。やはり込み入った話は書けなくなっていった。日記に込み入った話を書く必要はないんですが…。

 さて、山作戰作戰本部の最寄駅は目黒か白金台です。今日は目黒駅を最寄り駅として利用し、白金方面に住む方ならもしかすると遭遇されているかもしれない「臭い女」について書きます。

 年齢は三十過ぎでしょうか。大概は二才前位の女児を胸の前に斜めに抱いて歩いているところを見かけます。朝には駅方面に向かって歩いている事が多い様です。こいつの連れている女児は髪の毛が多くてなんだか可愛いんですが、この子は正しく育たないでしょう。なぜならこの臭い女がくさいから。香水を浴びて家を出た様で、いつも臭いの帯をたなびかせて歩いています。

 ある日僕がその臭いに気づいてある角を曲がると一〇〇メートル弱先にその姿が見えました。繁殖期なのでしょうか。通販で買ったフェロモン香水かも知れません。何かのオスをおびき寄せる気かもしれません。
 おそらくどこかへ子供をあずけて仕事へ行ってるんでしょうが、僕が同じ職場にいたら訴訟を起こすか殴りかかってしまうかも。その位いつも臭いです。

 強い香水は子供のアレルギーの元になる事もあるそうです。香水の臭いを嗅いでしまい喘息やアレルギー性のくしゃみが止まらなくなったりするそうです。それとは関係がないと思いますが、僕は小さい頃母親が香水をつけると吐き気がしていました。

 生まれつき、まったく臭いを感じない人も中にはいる様です。友人にもいましたが、見事に臭いがわからず、味もほとんどわからないと言っていました。臭いがわからないとなると食べ物が腐っているかどうかもわからないわけで、野生動物なら生き死にに関わるくらい大きな障害でしょうが、現代の人間にはそこまで大きな問題ではないのでしょう。ただ、僕が一度も食べ物に当った事がないのに対し(お腹が丈夫な訳ではない様で、下す事はよくありますが…)、彼は何度も腐った物を食べて酷い目に逢った事があるそうです。(因みに僕は家族一鼻が良い事になっており、用心のため食べ物の臭いを嗅ぐという大役を任されていました)

 臭いのない世界、想像もつきませんが、味がわからないのは寂しいな。今思い出す彼の食事の様子はまるで作業の様でした。

 臭い女がそんな障害を持っているのか、大好きな人に「ワキが臭い」と言われて精神的にまいってしまったのかわかりませんが、子供がその影響を受けているのは明らかで、更にそれを僕にはどうする事もできない事が歯がゆいです。

 昨日たまたま信号待ちで彼女と並んだ僕は、あえて聞こえる様に「くせえなあ」と言ってみました。しかし臭いの壁に守られた彼女には聞こえなかった様でした。

 今後何度も言ってやるつもりです。臭い女、覚悟。その臭いの壁は公害だ。


2003年11月05日(水) 迷走するタレントミュージシャン

 昨今のカバー曲ブームにうんざりしていない人は一人残らず音楽を愛していないのだと言い切ります。かなり挑戦的に行きます。このカバーブーム、リバイバルブームという作られた流れについてですが、これはドラマにおける漫画原作流行にも通じる流れだと思われ、その根本には作り手の無力感と言いたい事のなさが必ずあります。
 今、カバー曲をシングルで出す人々は少なくとも歌いたいことが沸き出して来ない、会社に歌わされ演奏させられている人々でしょう。新しい歌が沸き出して来てしようがなかったら、古い人の曲のために時間なんて割けないのではないでしょうか。歌謡曲というのは職人の作った、言わばロック等とはほど遠い音楽だし、それを今歌う意味は皆無です。「昔は良い曲がいっぱいあったんだね」と思ったからってなんでかっこ悪い80年代サウンドが腐った様なアレンジで「異邦人」をやらなければいけないのでしょうか

 表現者でない方は惰性で音楽をやってはいけません。言いたい事や聞かせたい音がないのなら無理して歌わなくて良いです。それでもお金が欲しいなら「音楽商売人」と名乗ってはどうでしょう。山下達郎が自分を皮肉ってか「アルチザン(職人的芸術家)」と名乗った様に…。切に願います


2003年11月03日(月) 旧友(更新するぞ週間)

 今日は羽田空港へ高校時代の友達を見送りに行って来ました。司法書士の会合とかで熊本から数日出てきていて、今日帰るということだったので顔だけ見に行ったんです。飛行場は連休最後の日だったので地方からの観光おばさんと修学旅行生でごった返していました。空港内の催し物会場みたいな所で熊本市がやっている宮本武蔵のイベントがあり、その前で落ち合い、喫茶店へ。彼は日本酒、僕はビールで昼から熱く語りました。彼は多重債務者を救う事を中心に活動していますが、僕はおそらく熊本で一番口喧嘩が強いのは彼ではないかと思います(無責任情報)。

 「頻繁に会う訳ではないのにいつも会っている気がするのが親友」と昔教員に言われ、その時は「そんな事あるもんか」と思ってましたが、何ヶ月も会っていないのに会ってすぐさま熱く今後の夢の話とか人生のとらえ方についての話をできるのは親友と言うか旧友ならではのものかなと思いました。「ただ酔っ払いだからかも!」とも思いましたが…。
)。

 小一時間呑んで話して見送りました。搭乗口の先に消えてゆく姿があまりにも名残惜しくてそのまま飛行機のチケットを取って熊本に呑みに行こうかとさえ思いました。
 お互い歳をとり、顔つきも多少穏やかになっているはずですが、もっとギラギラと訳がわからなかった時期を一緒に生きた人なわけで、帰り道の僕はいつもより少し遠くの夢の事を考える様になっていました。


2003年11月02日(日) 遅れても更新するのだ(更新するぞ週間)

 昨日はシマえもんと裏掲示板でお馴染きゃわDaさんと下間さんが来ました。酒を飲み、夜更けまで話をしました。
 特にきゃわDaさんのお宅にあった大量の漫画(二〇〇〇冊以上)をブックオフに取りに来させた話は圧巻でした。ご自分でも何冊あるか把握しておらず、ブックオフの人には電話で「三〇〇冊位」と言っていたそうで、ブックオフの人は箱も買い取りのお金も足りずで大変だったそうです。結局きゃわDaさんのうちにあった箱を使って持って帰ったそうですが、所要時間は朝一〇時頃から一四時までの約四時間。それでもまだ漫画があるそうです。「すでにちょっとした漫画喫茶でだったんだね」とお互いの健闘を称え合いました。


2003年11月01日(土) 友達の結婚式に出てきました(更新するぞ週間)

 昨日は友達の結婚式に出てきました。キリスト教式のフランクなもので、奥様も美しい大変良い式でした。奥様が美しい事は式を円満に運ぶ第一の条件ですね。

 披露宴では私のテーブルに音楽や芝居関係の仲間のみが座り部外者がいない状態でした。これがいけない。「ヤクザものの映画を撮影する時はヤクザの方にご挨拶しないと大変ではないか」とか「たまにヤクザの襲名式のシーンなどがあるが、あれは誰が作法を教えるのか」など普段の飲み会以上に濃ゆい話が飛び交う始末。終始ダークな話中心で、友の結婚を祝いました。

 そこで「桜の木と櫟の木」と「バタフライ」をベース関口さん(元ラジオニクス)、アコギ太田さん(元ラジオニクス)、歌+アコギ(��(高)山)の三人で演奏、モニタ完全0(*注��)状態でしたがなんとか評判良く終わる事ができました。

 その後、二次会でも飲み足りなかった仲間がほぼ誰も欠ける事なく太田さんのお宅へ移動、タラや牡蠣の入った季節の鍋をガシガシいただきました。ネオロジックの野林君が水菜をごっそりタイミングを間違って入れてしまい罵声を浴びるシーンもしばしば。その後熊本人ネオロジックは日本酒の飲みすぎで死去。みんなで「良い奴だったのにね」と語り合いました。

 総じて言えば僕らの仲間は結婚式を口実に飲んでるだけの集団でした。でも結婚したご当人が幸せそうで良かったって事で…。

(*注��)モニタ完全0 
 通常演奏している音を演奏の参考のために機械的に演奏者に返すんですが、それがないと自分や相手の出す生の音や相お客さん用に出ている音の残りを聞いて演奏しなければいけないので大変なのです。この状況で演奏するには長くのびた補給路を断たれた馬鹿な米軍の如く困難を強いられます。