僕は禿げる。(中略)それでも歌を聴いてくれますか?
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少し前、系さんという同じマンションのミュージシャン兼エンジニアさん(?)が音楽用のパソコンソフトを触って音で実験しているのを眺める機会がありました。彼はパソコンを使った音楽(エレクトロミュージックというんでしょうか…)を良くなさいます。
その時思ったことがあります。それは彼の音楽の生まれ方と僕の音楽は例え同じパソコンを使って同じソフトを使って作っても同じ「音楽」とくくったら危険なくらい違うものだなということです。この違いに可能性を感じるのはもちろんですが、この差は大きいです。
僕は今までほとんど「ロック」とくくられる人意外の方の音作りを見たことがありませんでした。しかも今まで見たものはすべて歌がある音楽のそれ。系さんの偶然をつむいでいくような音作りは僕にはない組立てと発想されない方法に思えました。
僕の音楽は最初に決まったメロディーがあります。例外はありますが、通常これが曲の中で一番偉いです。即興性はこのメロディーができる時に少しあるくらいで、そこから先はメロディー基準で組み立てる場合が多いです。だから逆に録音したフレーズには言葉で言い表せなくても必ず一つ一つに意味があります。系さんのなさる音楽は、音をその場の感じで抜き差し(沢山並行して走っている音の中の一つをミュートしたりまた再生したり)することも多いです。こう書くと系さんの音には一つ一つに意味はないのかという話になるのかもしれませんが、僕はそれは再生されている一つ一つの音の意味の単位(このニュアンス、伝わってますか?)が違いでおきている差の様な気がします。
話は全然それてしまいますが、即興と言えば歌謡曲なのに間奏に取ってつけたような弾きまくるギターソロがある曲がいまだにあります。僕は聞いていて恥ずかしくてつらいです。必然性がない気がしてならないのです。余談でした。
系さんが実験していた音は何小節かのリズムやフレーズを繰り返すところから始まりそこにスキルが作る偶然が組み合わさっていきました。それは例えばフリージャズやブルースなどとの方が近いのかもしれないなと思いながらそのかっこいい偶然が出来るのをしばらく聞いていました。
…元々は「櫻の木と櫟の木」という曲のために太田さんが録ったドラムの音だったんですけどね。
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