青春の思ひで。
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2005年02月23日(水) |
1+1が0になる真夜中。 |
淋しい。淋しい。さみしい。ひとりでいるよりさみしい。 この自覚がよりあたしをそうさせるのだとわかっていても思わざるをえない。 何も、共有できるほどのものを持たないものだと思われていること。 何で。誰と一緒にいたって究極的にはさみしかったのに。 どうして今はこれに耐えがたいのだろう。 自分で退路をふさいでいるからか。やっぱり。気付いてもらえないなんてあたりまえ。 リルちが言う「誰かにわかってほしいと言う人間に限って、誰のこともわからうとしていない」のだということを、どうして理解しきれずにいるのだろうか。あたしの本質が。
冗談にして語るほど、私は何も消化できていない。 何も。ただいつも、理解できなかった、救えなかった罪悪感だけが確かなのだ。 どうすれば救える?どうすれば救われる? 救われたいのか、救われたくないのか、それすらもわからないというのに。 一生、この気持ちを抱えて生きていくことにこそ悦びを感じているのやもしれぬ。
何も期待するな。明日すら生きていけぬ。
自分ですらわからないことを、わかってもらおうだなんて無理な話だ。無茶苦茶な話だ。
思想が口から出づるよりも前にこの中で、あたしの中で文字になる。
誰か。
日々がただ過ぎていくことに恐怖といらだちを感じる。 あたしに残された時間は長くない。 今日、何ができた。 何かができたはずなのに、何もしなかった。また逃げた。 逃げて、逃げて、逃げたら、辿り着けやしないのに。
春の匂いを感じる。恐ろしくなる。春。 春の記憶はいつも匂いがする。湿った甘やかな夜の匂い。 あの日。手を繋いだ日。ひとりで泣いた日。新宿の映画館。マリア・クローチェの香の匂い。冷たい夜桜。かすんだ高瀬川。夜の匂いだ。ただ一度だけ抱きしめた夜。甘い煙草。夜の黒と嘘くさいほどの蛍光灯の白。ひとりで待っていた日。あの日に失ったものは、一体何だった。ひとりで待っていた日。子どもだったあの日。もう10年も前になるというのか。
10年目の春です。 奇しくもあたしは22歳です。22歳の別れです。別れました。 14になる前の夏の日からは8年が経ちました。もう22歳です。 22にもなれば少しは……と思いましたが、まだまだです。まだわかりません。 まだ、あたしは、少しは、14歳に近いのです。だからなのか。まだ、救えない。
あなたのために生きることを決めたから、あなたの所為にして死んではいけない。 でも、10年が経って、8年が経った。 奇しくも卒業する日は3月20日だった。変更されたけど。 3月20日。永遠の喪失の日。 3月の北の大地は、まだ白いですか。春にはほど遠いですか。それでも、春の匂いはしますか。あたしは、そこにいってもいいですか。
あなたに逢いたい。まだ、逢えない。 まだだ。まだまだだ。 春は優しくて、残酷で、憂鬱で、仄昏くて、甘い。
ご無沙汰です。 生きてますよー。
年が明けてから何してたかと言いますと。
1月13日まで→卒論。最後3日くらいまともに寝れなくて、ドーピング(リポビタンのゴージャスバージョンで)しつつ、後輩に参考文献リスト作らせつつ、ヒステリー起こしつつ、ハーゲンダッツを主食にしつつ、一応終わらせました。んが、しかし、内容はあまりにもひどすぎ。結論を全部丸投げしてしまうという最もかっこ悪いことをしてしまいました。
1月14日〜16日→帰省。親とバトル。ありえない交換条件と引き換えに進学を認めてもらい、誓約書にサインしてもらう。しかし、交換条件はありえないので守る気ナッシング。ヴィヴィアンのブーツ買ってもらって、本真珠のネックレス(25年前の10万円相当)もらってちょっとだけご機嫌だけど、モノに釣られた自分に嫌悪。
1月17日以降1月末まで→だらだら。何してたか覚えてない。提出し終わった卒論からはひたすら逃避。
1月末から2月11日まで→テスト、レポート、発表の地獄絵図。4年生にあるまじき授業スケジュールでかなりやばめ。最後のほうはレポートを1日に3つ書かなきゃいけなくなったりして、期日に間に合わずいろんな先生に「遅れてすみません!でも受け取ってください!お願い!」というニュアンスのメィルを送信しまくり。来年、院でお世話になるもりお先生のレポートをひどいの書いちゃってどうしようという話だ。
2月14日→ヴァレンタ(以下略)……じゃなくて、卒論発表会。学科の先生方も、学科の友人たちも非常にやる気がなくてうんざりでした。まぁ、あたしも学科なんかに重きをおいてないのでやる気なかったし、その所為もあっていい発表はできなかったけど。価値観の違い、というものにさりげなく非常に不愉快になった一日でした。
まぁ、こんな感じで14日で学部生としてやることはほぼ終わり、残すは卒業式だけになりましたが。
実は、まだ卒業が確定的でないという罠。
そして、その発表は明日……。
mixiの方につけてた日記をぼちぼちこちらにコピペりますかね。
卒論も提出してから、半月も経過してうだうだ言うのも非常にアレなんですが。
年末から年始にかけて、12月中が締切でもう出し終わっちゃったmakonちゃんにいっぱい慰めてもらって。 「大丈夫。そのうち神様が降臨してくれるから。自分の手がゴッドハンド(つーか、ゴッドフィンガーか?)になって素晴らしい勢いでキーボードを叩いてくれるから」と。
それで、その言葉だけを頼りに進まぬ卒論と向き合ったり、そっぽ向いたりしてきたんですけれど。
年明けてからは本格的に神頼みモードになって、「今日は神が降りてくるかしら?」とかそんなことばかり呟いていたり。 たまーに、「天国への階段が見えた!自ら神を引きずり降ろしちゃる!」とかポジなんだかネガなんだかわかんないけれどちょっとばかし強気な発言をしたりしてましたが。
提出の日の、明け方に(眠ってないから明け方もくそもないのだけど)、ぽつりと、 「結局、神様は降りて来なかったなぁ」と呟いたなら。 「神とは」と一緒にいた後輩が呟き返し、 「神とは、目に見える形で、具現化して存在するものなんですよ」と。 「ほら、ここに」と。
それを聞いて、何か、すとんと、安心して、暖かくなった。
そうだ。神さまはいた。 たくさんの神さまが、あたしを支えてくれたし、この卒論を書かせてくれた。
誤字脱字チェックと参考文献一覧を作成させてしまった(これ、ばらしていいのか、あたし・苦笑)挙句にヒステリーにも付き合わせてしまった後輩とか。
情緒不安定なあたしを5時間もの長電話に付き合ってなだめてくれた相棒とか。
都立図書館へのアシになってくれたおにいちゃんとか。
授業代打やプリントアウトしてくれたすぎうらくんとか。
もっと、もっと言っていけばキリがないけれど。 とにかく、あたしと卒論の話をしてくれたすべてのひとが。 あたしの神さまだった。
たくさんの神さま、ありがとう。
蛇足だけれど。 後輩が「神とは」と言い出したときに、 「神は死んだ!」とか言われたらどうしようかと思った(笑)。
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