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■ 〈家〉
▼後藤暢子・後藤幸子・後藤文子+伊東豊雄『中野本町の家』(住まいの図書館出版局/発行、星雲社/発売、1998)
人は住む場所を規定し、住む場所によって人は規定される。 働き盛りの夫を1年の闘病生活の末に亡くした女性が、残された年子の(小学生の)娘2人と住むための家を建てた。設計は、彼女の実弟である建築家・伊東豊雄。 馬蹄型をした、大きな、白いチューブのような空間、その中心には黒い土。風変わりな意匠を持つ家は、20年ののち、家族の変化によって解体された。「変化」とは、子供が成長し、それに伴って生活およびその様式が変わる、そのことのみではない。 この家に住んでいたそれぞれの人たちに対し、個別にインタビューが行われた。
(えー、なんかこなれてません、私の文章が。)
人を亡くしたところから始まる新しい生活。 この家の形自体は特殊かも知れないが、家とは何か、家族とは何かという問題はひとごとではない。私の家の「垣根」や「仕切り」はどんなだろうか、考える。個人的であると同時に社会に向けて開かれている(「開かれていない」、すなわち、外との対照があるという意味で*逆説的に開かれている*場合も含めて)家というものを。
特に、長女である文子さんのインタビューに強く引かれた。 品川の原美術館で宮脇愛子(創作アップリケ&故・宮脇檀氏のお母さんじゃなくて、現代美術&磯崎新氏の奥様のほう)展を観た時のような、心の奥底(たぶん、自分でも少し面倒くさいと思っている部分)に静かに深く沈むような感応があった。
まとめ風感想。 作品が大変なものだからだと思うけれど、それにしてもすごい本。そして面白い。 住宅設計を志す人は必ず読むべき。家の形がすごいから、ではなく(まあ処女作だし、確かにすごい形だと思うけど、それは結果であって)。 設計する立場からすれば、家は時間の変遷に応じて変化すべきだ、というプラクティカルな結論にたどり着くこともできよう。しかしそれよりもやはり、家という空間が、その時々の人の心象風景をこれほどまでに反映して立ち上がり、人を左右し続けるのだという点に目を向けたい。だからこそ〈壊される家〉が衝撃的なのだ。
『中野本町の家』持ってる? とりー氏に聞いたら、「ない」と答えたので、早速図書館で借りてきて読んだのだ。 なんか、すごいよかったよ、と晩ご飯を食べながら内容をかいつまんで話す。 「とりあえず買っとくべきかのー」 うん、まあその前にとにかく読んでみてよ。かばんの中から借りてきた本を取り出して、差し出す。早速読むりー氏。 なかなかすごいやろ。 「うん」 早速amazonで注文してくれた。べんりだ。
すごいすごいとばかり書いたけれど、なんだかうちのめされたな。 読む時を選ぶかも知れないけれど、好きな本だ。
【補足】 「家」「家族」「家庭」それぞれの語について、厳密に使い分けているようないないような感じになっているけれど、『中野本町の家』に、家族ではあったが家庭ではなかった、というような一節があった。
2005年08月17日(水)
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