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■ 小さい話いろいろ
yapeus、今月末でサービスを停止して、以後はヤプログで引き受けますよ、ということになりました。そんなわけで今までの分を移行。 しかし、エンピツでもblogでもなくyapeusに、と思うことが多々あるのです。書くのであります!というほどのこと(いや、そんなの、ハナからないか)でもないが、チロッと書いとく?というようなことどもが。
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以下、Pよたさん風に小見出しで。
▼国立新美術館 身近で誰がいちばん先に行ったかと言えば、私の両親。さすがミーハー(特に母)。下の弟が職場を変えたので(今度は人形町)、さっそく食べに行くぞツアーをしてきた折に行ってみた模様。 「おみやげ買ってきたよ」と聞き、えー変なものだったらやだなー(鬼)といつものように思っていたのですが、あら、なかなか悪くなかったわ。ブツはと言えば、新美術館のミュージアムショップにて購入のポストカード(というのは、人によっては「もらっても…」という代物かも知れないけれど、私にとっては超実用品)数種と手拭い、それからりー氏にチョコレート。
▼ショートカットで銀髪 久しぶりに実家にて食事。のいとも正月以来かもなりー氏。 都知事選について。 母「K川紀章は弟も建築家なんだってね? 奥さんが佐伯ナントカとかいう人で……」 お母さんそれはK藤タキ! しかも確か先日タキさんのトークショー(地元新聞社の女性向けサークル(に、母は友人と入っている)の月例イベント)を聞いているはず。なのに?
▼母と娘(前項より続く) それにしても母親ってどうしてこうツッコミどころ満載なんだろう。 そして娘ってどうして母親にツッコミを入れたくなるんだろう。そういうところ、男の子はやさしい。 これは自己言及になるけれど、男の子の(=女の子はいない)お母さんは、どこかお姫様的であることを許されているような、そしてナーバスとがさつさが混在しているような気がする。型にはめた言い方で、もちろん例外はあろうけれど、ちょっとそんなことを思ったりもする。 しかも私の場合は男きょうだいの中で女ひとりだったしなあ。タチが悪かろう。
でそりゃやっぱり佐伯チズさんの方が素敵でしょう(話はずれる)。
▼Kの話(その1) 先週の初めに6ヶ月を迎えたK(絶賛むちむち中)、先週末より離乳食始める。 まずは、父や友人が作った野菜を数種、じゃがいもとかキャベツとか白菜とかキャベツとかかぶとかさつまいもとかを水だけでことこと煮て、食べさせている。 調味料は加えていない。野菜からだしが出る。 「えーそんな味のないものをー、かわいそうにー」とりー氏(「調味料をかけないと野菜は食べられない」と言って私を絶句させた&じゃがいもには見た目8掛けくらいの量のマヨネーズを添える男)。 しかし私(トーストには何も塗らず)にはたいへん美味しい。 だから、おいしいねー、とKにかける言葉は真実。
実は離乳食という言い方には違和感がある。そのうち名実ともに「離乳」食となるのだろうけれど、今は松田道雄の言うように「添加食」と言った方がしっくりくる。 ありがたいことに乳の出はよく、乳やりも楽しいので、欲しがるまでやりたいと思っている。まさか大人になっても飲みたがる子はいないだろうし(と思ったらどこぞの国では18になっても時々立ち飲みすると聞いたけど、本当か?)。
▼Kの話(その2) Kがみるみるうちに真っ赤な顔になって泣くとき、あら大変だ、と思うと同時に、あはは私にそっくりだ、とおかしくもなる。というか、正確には私の父にそっくり。 運転中バックミラーに映る目が父親のそれに似ていて笑えるときがあるように(これは苦笑)。
▼言葉2題 『Arne』の最新号によしもとばなながエッセイを寄稿していた。 小さな子供の持つ力について書いてあった。内容についてはまったく同感、けれど、ひっかかる点がひとつあって、それゆえ共感できるはずなのに共感しきれずにさめた目で見る自分がいた。 なんなんだろうな、言葉の力は、こわい。それがたかが好悪のレベルでしかないと自覚していても、最低限の前提であり、最後に分かつ溝であるのだと実感した。 知らないうちに心の中にNGワード(という言葉自体が懐かしいですね)を作っている。あんまりいいことじゃないんだろう。もちろん、私はその言葉はつかわない、と思っても、それなり関わりは持つというものだ。 なんて、不遜な。
例えばKに対してはヨユーをもって言葉を発することができるのに、りー氏に対してはついキビしくなることがある。Kには甘えさせておりりー氏には甘えているということだ。それもまた美しきことかもしれないが言葉と態度に矛盾はない方がいいかも知れないとも思う。
2007年02月27日(火)
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