だいありー

2002年07月13日(土) ちょっと真面目に(?) フランス革命

NHKの番組で「その時歴史が動いた」という
番組がある。
うん、確かこんな題だったと思う。
先週は、フランス革命についてやっていた。
人物に焦点を当てるんだけれども、
フランス革命と言えばご存知、



ベルばら@オスカルでしょう。



いや、違うって!
言わずと知れた、悲劇の王妃、

マリー・アントワネットでしょう!

ところが、この番組では
もう一人の女性が紹介された。
この女性は革命に携わった平民でありながら
アントワネット処刑後、2〜3週間後に断頭台に
登った女性である。

名は ロラン夫人 という。

ところで。
アントワネットは何故「悲劇の王妃」なんだろうね・・・。
憎まれて当然のことばっかりやってきたので、
処刑は当たり前だと思うのですが。
ただ、ひいき目で見るとすれば、
彼女が下々の暮らし振りや税金がどこから来るのか
を知らなかったというより、知ろうとしなかった
のが「悲劇」だと思うが。
でも、知ろうとしなかった・・・というのは
結局は自分のせいなんだから、悲劇じゃないよなぁ。

ぼよっち、この革命に携わったロラン夫人を
知らなかったので、早速ネットで検索してみました。
テレビを観ていて興味が湧いたのだな。(^^)
すると、フランス革命が大好きな方のHPに
ぶち当たりまして、かなり研究なさっています。
個人サイトとしては素晴らしいものがある。
多分、管理人は女性だと思うのですが・・・。
そこで、面白いことが沢山判った。

アントワネットの次男、ルイ・シャルルは
父、ルイ16世が処刑されたその時点でルイ17世と
なった。
ただ、既に国が共和国になっているので
即位はしていない。
というより、共和国になったのだから
即位できないというのが本当。
彼は10歳の時に亡くなったが、
死因は「病死」の説と「殺害」の説がある。
「病死」に関しては病名は判らないが、
「殺害」に関しては叔父であるオルレアン公の仕業である
とも言われている。
どちらも同じ位有力な説なので、何ともいえないが。
んでも、シャルルに関する面白い事が判った。

実はタンプル塔で「殺害」or「病死」した
ルイ・シャルルは偽者で、「殺害」or「病死」
する前にすり替えられ、本物はパリで暮らして
生きていたという説があるのだな・・・。
そんで、その噂が根強いので、ついにフランスは
アントワネットの遺髪のDNAと、
ルイ・シャルルの心臓のDNA鑑定を行った。
結果は、

2000年3月に結果が出ました。

ルイ・シャルルの心臓は、間違いなくシャルル本人
であるので、すり替えられたという説は
うそっぱちという事だった。
現代の医学って凄いよね。

ただ、ぼよっち思った。
200年ほど前の心臓が、現代に残っていると言う事が
不思議です。
ホルマリンに浸かっていたわけでもなかろうに・・・。
どうなんでしょうか、これ。

さて。
その革命に携わった女性、ロラン夫人に関しては
そのサイトの管理人は余り好きではないようです。
アントワネットやデュ・バリー夫人などは
アクの強い女性であっても、ファンがいる。
ただ、この女性はいないんだそうな。
当時も、そして今も。
なんていうか、考え方と捉え方の違いだと
思うんだけれど、NHKの番組では以外に
好意的に捉えられていた。
でも、この管理人曰く、高慢で、身分が低い割には
学問に秀でたところがあり、それを鼻に掛けている。
と当時も現在も思われているらしい。

どっちにしても、フランス革命は
勃発してから浸透し、沈静するまでに
なんと多くの血が流され、なんと多くの犠牲を払い、
なんと多くの涙を流し、なんと多くの恥を世界に晒し、
なんと多くの教訓を示した事であろうか・・・。




きゃ〜っ! なんか今日のぼよっちってば
どうしちゃったのぉ?



とっても知的じゃん。









爆。


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