だいありー

2002年08月16日(金) 旅立ち

昨日、パパさんが外来だった。
検査のみで診察はなかったから、
早く帰って来た。
ずっと気になっていた同じ食道癌のYさん。
パパが7月末に退院する時は
奥様が病院に泊まりになる程に具合が悪かった。
いつも具合が悪くても、
旦那さんに頼り切っていた奥さんが心配で
頑張ってピンチを脱していた。
薬で眠らされようと、
「いつ死んでもおかしくない」と
先生に言われようとも、
本人は頑張って家族の元に帰ってきていた。
だから今回も絶対、
ピンチは乗り越えられると信じていた。
いつも東京に出る用事があると
Yさんが食べれるパステルの美味しい
「なめらかプリン」を買って行き、
あるときは「ら・ぽっぽ」のスィート・ポテトを
買って行った。
筆談で会話した事も、7月の具合が悪い時は
眠らされている傍で手を握ったりもした。

ずっとずっと、ぱんなは心配だった。
電話しようか、どうしようか迷った。
迷惑かな・・・とも思った。

外来の時にママに
「14階を覗いて来てよ。個室のドアが開いて
呼吸器の音が聞こえて、ビニールのエプロンがあったら
まだ一生懸命に頑張っている証拠だから」
と頼んだ。
ママはパパを連れて看護婦さんにパパの顔を見せに
行った。とりあえず、看護婦さんに差し入れを持って。
覗きに来たなんて露骨に思われたらイヤだった。
ぱんな家とYさんが仲良しと言う事を
看護婦さんも先生も知っていたから。

何も無かった。

だからママが看護婦さんに聞いた。
「Yさんにお会いしたいんですけど」と。
看護婦さんは残念そうに静かにこう言った。






「8月1日にお亡くなりになったんですよ・・・」





と。
ぱんなのパパが退院した翌日に
Yさんは静かに息を引き取られたのだった。

辛かった。
もう、半分ぱんなのパパと同じ位の位置に
Yさんは居た。
あんなにぱんなのパパを励まして、
あんなに手術に向けて体力をつけるために
運動していたのに・・・。
懸命に奥様が看護していたのに。

8月1日の夜は月がとっても綺麗だった。
まんまるくて、雲ひとつなくて

「かぐや姫のように月から迎えが来そうなほど、
このままするすると光の階段で登って行けそう
な程綺麗だなぁ」

ぱんなはそんな事を思いながらお布団の上から
ずっとお月様に見とれていた。

まさに、この日、昼間だったかもしれないし
朝方だったのかもしれないけれども、
Yさんが天国へ旅立たれてしまったんだ・・・。

あんなこと考えなきゃ良かった。

またやってしまった。



ぱんなは、自分のおじいちゃんの時も
土曜日の午前中、
雲の切れ間から光が差しているのを見た時
「誰か死んだのかな」
って思った。
そしてそれは、自分のおじいちゃんだった。
悔しくも、食道癌だった。

自己嫌悪。




でも、Yさんらしいと思った。
亡くなって2週間目でお盆。
奥さんが心配で、8月1日を選んだのだろう。
天国に着いて、自分の荷物を置いた後
自己紹介もそこそこに、すぐに奥さんの元に
戻られたことだろう。

「あいつを置いて死ねないんだ」

ずっと、ぱんなにそう言っていたのだから。



謹んでYさんのご冥福を祈りたいと思う。


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