だいありー

2002年08月17日(土) 旅立ち 2

悪い事は続くもの。

今日、朝10時に電話が鳴った。
Sさんからだった。
Sさんはパパの病院(癌センター)で
お知り合いになった同じ食道癌の方で、
ブジーを2日1回入れていたSさんと同じ苗字だ。
ブジーのSさんは再発も転移もしておらず、
江戸に住んでいる。

今日電話を頂いたのは
パパが転移が判った5月に
ベッドが隣同士だった方で
やはり食道癌だった。
彼は再発で、別の江戸の大学病院で
手術を受けたが、のちに喉の辺りの違和感が
取れず、製薬会社の営業マンだった事もあり、
また、ぱんなのパパの外科の主治医だった
K先生のお友達を知っていた事もあって
がんセンターに来た。

K先生からは

「Sさん、再発だよー。
手術を受けた時に既にこれは
初期の段階として出来ていた筈だから、
見落とされちゃったんだね」

そう言われたのだそうだ。
内科の主治医も現在ぱんなのパパと
同じ先生だし、使っている抗がん剤も同じもの。
けれども、ぱんなのパパは効果が上がっている
のに対し、Sさんは全く効果が無かった。

ぱんなのパパが使用している抗がん剤は
消化器系の癌で良く使われる
シスプラチンというもので、
プラチナ(重金属製)のため、
腎臓機能を著しく低下させてしまう。
薬害腎不全を起こしやすい為
医師も扱いには慎重になっている。
そして、もうひとつ。
5FUという抗がん剤だ。
この2つの抗がん剤を組み合わせる事が
今、世界規模で一番「食道癌に有効である」と
言われている抗がん剤だ。

けれども、これには効果がある人が全体の3分の1。
横ばいの人も全体の3分の1。
全く効果が無い人も3分の1。
という抗がん剤だ。

ぱんなのパパは効果があった。
有り難いと思う。
けれども、Sさんは最悪のケースだった。

抗がん剤を打っても癌が小さくならず、
6月にお会いした時は癌が脊髄に達しており、
「あと1年くらいだ」
と言われ、川崎大師の傍に住んでいることから
大師の傍の病院へ転院なさった。

あれから1ヵ月半。

Sさんが亡くなった。

その電話だった。

最後は
「冷たいビールが飲みたいなぁ」
と言ったという。
既にSさんは春から全くモノが食べれない状態で
点滴だけで栄養をまかなっていた。

カロリーの高い点滴をどんなに入れても
口から食べ物を入れること以上に
栄養になるものはない。
食べ物や身体の中にある菌が食べ物を消化し、
栄養を吸収し力をつけ、免疫力を高める。
点滴にはその大切な菌が無い。

転院されたからこちらから電話をする事は
はばかられた。
どうしたものかと思って、
かもめーるを送った。
ぱんなはPCでハガキを作るのが嫌いだ。
手作り感覚がないからである。
だから面倒でも、ぱんなは
「プリントごっこ」で印刷して
絵の具で色を付けている。

ちょうどそれを受け取った時、
奥様は病院に寝泊りしていて
大変な時期だったという。

Sさんはお盆である14日に亡くなった。
立て続けに同志が亡くなるのは
正直、闘病中の私たちも辛いものがある。

でも、その方たちのためにも頑張らなくては。
その方たちの分も生きなくては。


Sさんのご冥福を心より祈りたいと思う。


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