人生事件
−日々是ストレス:とりとめのない話 【文体が定まっていないのはご愛嬌ということで】
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| 2003年01月10日(金) |
新年早々「この俺の気持ちが受け取れねえのか?!」とすごまれてみたり |
新年早々「私を無職にさせる陰謀かこの野郎!?」と逆切れしそうになってみたり。
公務員は、人様から物もらったりしちゃいけないんです。業者さんからも市民の方からも、誰からも受け取っちゃいけないんです。要求してもいけないんです。万が一うっかり喜んでもらったりなんかしたら、罪に問われちゃうんです。裁判の結果が出ようと出まいと、事実が明るみになった時点でクビです。路頭に迷ってしまいます。
私は、市に属しているので、市民みなさまの税金からお給料をいただいております。ので、「訪問してもらうから」って、おうちでケーキやメロンや大根やみかんやどら焼き等を用意しないで下さい。「訪問してもらってる」なんて恐縮しないで下さい。必要とされているから訪問してるんです。ちゃんとお金はもらっているんで、用があれば遠慮なく呼びつけて下さい。私が訪問先のお宅でいただいているのは、水分だけです。お茶だけで結構けっこうコケコッコウなんです。うちの市は、そこんとこものすごく厳しいんです。 そう、ほら、家政婦さんやヘルパーさんを雇うような気持ちで考えてみて。市民のみなさまは、税金というお金で私たちを雇っているってわけ。簡単な図式でしょう? 書いてみれば、なんとなく納得いくところがないかしら?
で、そんなこんなな状況なのに、私は仕事始めの1週目初っ端から訪問先の市民宅でケーキを食べてしまいました。 用事が済んでそろそろお暇を、という段階でのお茶とケーキの出現に慌てて丁寧にお断りしたところ、「俺の気持ちが受けとれねえのか」「俺の親切心がわかんねえのか」「胃袋に入りゃあわかんねえよ」と、おっかない顔で迫られ、私は恐怖のあまりでっかい苺のショートケーキを食してしまいました。私の大好きな某店のケーキだったのに、味が感じられませんでした。まさに、機械的なおやつ。
でもね、わかるんですよ。「来てもらってる」って気持ちになるのも。感謝の気持ちを表したいっていうのも。私も来てもらう機会があったら、きっとそう思いますよ。将来、子ども産んで新生児訪問受けたら、親が年取って心配だからって訪問受けたら、そりゃもう、「来てもらえてありがたいわあ」って思うと思いますもん。 でも、私、そう思ってもお茶しか出さない。相手が困るって分かっているから。私の気持ちはケーキやメロンを出したいくらいの感謝で溢れているけれど、これくらいの表現で我慢する、くらいの努力でおいしいお茶出す予定。
それにしてもよかったわ、刃物出されないで。
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