15's eyes
- 2003年03月24日(月) 時の流れ
先日、2度目の卒業生を送り出した。
2年間学校の中で共に過ごした彼らは、
2年前よりもぐぐっと成長し、
少し大人っぽい顔をして、卒業していった。
彼らとの思いでは尽きなくて。
この2年間は長かった。
私は正直言って、環境にすぐに慣れるたちではなくて。
去年なんて初めての転勤でひーひー言って
まじに仕事やめようかと思いつめる日もあったくらいだ。
ただなんとかこの2年間をくぐりぬけてこられたのは、
私が新しい環境で出会って生活を共にしてきた子ども達が、
おそろしくかわいかったからだ。
だから、毎日学校に通えた。
おそろしくかわいい
それは「優秀」という言葉には置き換えることはできない。
テストの平均点で言ったら、
最初の卒業生の方がはるかに良かった。
おそろしくかわいい
それは「よい子」という言葉には置き換えることはできない。
やはり子ども
自己顕示欲のあまり他人を傷つけるこどもだって当然いた。
おそろしくかわいい
それは「手がかからない」という言葉には置き換えることはできない。
家庭環境があまりにも複雑で
救急車のように何度夜の家庭訪問に行ったことか。
でも、
それでも、
なぜ、おそろしくあの子達がかわいい?
学校の先生のくせに、
子どもが苦手だった私が
「いつか自分の子どもが生みたいな」と思うようになったくらい、
子どもという存在を受け入れられるまでになったのは、
間違いなく彼らのおかげ。
おそろしくかわいい
きっとそう思うのは
大人をも巻き込むひたむきさ。
大人が忘れがちな物事に対しての素直さ。
そんなものを彼らが持っていたから。
これってね。
子どもならみんな持ってる。
でも、こんなすばらしいものを実際に、
発揮して輝いてる子は少ないよ。
物事に夢中になるこころも、
物事に対して素直にみつめ、受け入れるのも、
みんなみんな、子どもが生まれてから
今までの環境の中で育って表に表われていくものだから。
きっと私が受け持った子達は、
私が受け持つまでに、
学校や、地域や、おうちの人がありのままの彼らを受け入れてきたから、
ぴかぴかパワーを発揮してるんだと思う。
彼らは私にいろいろなことを教えてくれた。
忘れてたものを思い出させてくれた。
先生の仕事の楽しさを教えてくれた。
卒業式の日に、
私は彼らに、「2年間とてもとても楽しかった。ありがとう。」
とお礼を言った。
私は彼らに何ができた?
せめて今までの財産を壊すことなく、
素直な心を育ててきたつもりだけど…
学校なんて
長い長い人生の中で、
きっといつか風化されてゆく記憶。
線でつながっていた記憶が、
長い月日の中で、
点の記憶になる。
「ああ、そういえば、こんなことがあったような…」
「え?そうだっけ?」
長い月日と、
たくさんの経験の中で、
そんな感じに昔のことは薄れていくもの。
あぁ、
そういえば、
担任の先生は…えーと…
そんな記憶でいい。
「あー。だけど、あのときなんだかよくわかんないけど、
学校楽しかった。」
そんな言葉が、
いつかふと、「今」を思い出した時に、
彼らの口からこぼれたら、
もう、十分教師冥利につきちゃうよ。