15's eyes
- 2003年05月29日(木) 測れる距離と測れない距離
ある人の日記
その人は大好きな恋人と暮らしてるんだけど、
心の距離が最近あいていて寂しいという。
ふつうなら「そうなんだぁ。そういうこともあるよなぁ」と
同感できるかもしれない気持ちだったんだけど、
今の私にはすんなり同感できるものではなかった。
私には昔、自分の実家に1年近く住み着いた男と
暮らした以外は久しく好きな男と暮らしていないから、
そういう感覚がもうわからなくなっていた。
1 距離が離れていて心も離れている
2 距離が離れていても心は結びついている
3 一緒に生活しているが心は結びついていない
4 一緒に生活していて心も結びついている
上の4つの中なら
4が無条件に幸せで2なんかも幸せなカテゴリに入ると思う。
1みたいに、離れて住んでいて、心の距離があいてたら
一番寂しいよなぁ。
別々に暮らしているという、
測ることができる実際の距離よりも
心の距離がうめられないことのほうが
寂しいというのは間違いないとは思う。
離れていても、
心の距離が縮まってさえいれば、
そっちのほうが絶対幸せなのよ。
という考えはきっと、
万人がまるつけをしても、
正解とするだろう。
でもね。
セオリーというか。
道徳というか。
あたりまえの答えを自分の実生活にあてはめたら、
どうなんだろうね?
みんな
みんな
それで納得して過ごしていけるんだろうか?
納得して、
あたりまえに過ごしていけるわけなんて、ないんじゃないの?
最初の話にもどって。
大好きな恋人と暮らしてるんだけど、
心の距離が最近あいていて寂しいというきもちについて。
私は、この日記を読んで、
一瞬、この人は贅沢だと思った。
でも、あなたは結局は毎晩毎朝、
大好きな恋人の寝顔が見られるんでしょう?と思った。
それだけでも幸せなのよと思った。
こんなこと考えて、
とたんにヤな気持ちになったんだけど。
人と自分の幸せを比べてしまったって無意味なのにと。
毎日顔をあわせているからこそ、
感じてしまう悩みだってあるのをわかっているのにと。
けれど。
私の心の中に、
自分が恋人となかなか会えなくて、
不満がくすぶり続けている気持ちを再確認した。
それが私。
今の私。
結局どんな人でも、
どんなにおとなになっても、
どんなに心を鍛えても、
それなりの道徳は頭ではわかっていても、
未熟な心の一部分はかかえたままなのかな。
そんな気持ちと心の中で
みんな毎日戦っているのかな。
私はそうだよ。
いつもそうだよ。
今もそうだよ。