lucky seventh
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2006年04月29日(土) |
二つの意味を持つ鈍色。 |
思い出すのは家族のこと
それが私の原点。
思い出すたびに起こるのは
懐かしく思う気持ちと消えない罪悪感
私は逃げ出した。
家族から
世界から
すべてを捨てて
ただ一つ持っていったのは親から貰ったこの名一つだけ
それは私が私だという証であり、罪の証。
私の中の私が死んだ。 どうしようもない喪失、そして 絶望。 失われた私は、私が私であるための防衛ラインで 喪われた私は、私が私として過ごした思い出のような人だった。
私は最後の最期まで、逃げようとはしなかった。 その壊れる瞬間まで、ずっと私であり続けようとした。 それが私の役割であり、使命であり、存在理由だった。 願わくば、与えられた幸福を返すことを祈り、 祈り続ける限り、それに応えようとしていた。 そんな人だった。 誰よりも人らしく、人でありたがった。 人並みの幸福を与えられ、人並みの幸福を与えたいと そんな風に考える、幸福な普通の人だった。 けれど、それは私が私であるほど困難なことだった。 私をよそに私の中にはたくさんの私がいたから、 これ以上の幸福を望まない私 刹那の中に永遠をみた私 自由に呪われた、とりつかれた私 けれど、私はそんな私を否定せず ただひっそりと共存し続けた。 時は人を変えてゆく。 変わってゆく自分と私はあり続けた。 いつか自分が消えるその日まで。
ただ、私は思った。 私が消えたとき、私の幸福はまた一つ消え、 そうして人は失ってゆくんだと。知った。 そうして、人は生きてゆくんだと。 きっと人は生き続けるかぎり、失ってゆくんだと。 そして、それを補うように何かを得ようとするんだと。 けれど、失ったものをまた得ようとするのは困難で だから、人は変わってゆくんだ。 それは人としてしょうがないことなんだろうけど、 存外さみしい事のように思った。
けれど、私はこうも思った。 だからこそ私はどこまで人であれたと。 それこそが正に人の道だったのだ。 人は人である限り、そうして私は生きてゆく。 人らしく生きたと私は言おう。 こんなにも生きることに困難で、 生きるためには不要なものをたくさん付けられた人は その期待に応えて、どこまで人であったと。 何かを犠牲にしても、私は私であり続けた。
それが私の 証しであり、罪であり、罰であり、償いであり、 誇りであるから。
そう高らかに叫びながら 彼女は幸せそうに笑っていた。 唯一つ、不服そうに私は親不孝ものにだけはなりたかくなかったよ とだけ苦笑を残して、いつのまにか私はいなくなっていた。
三角関係のピラミッドの中、 彼女は脱落した。 それでも、彼女は幸福のまま消えたことを喜び、 後にその幸福をかみ締めるであろう私に、マゾだねとどこまでも 渋い顔をして呆れながらも思いを馳せていたのを思い出す。 失礼だな。 私は今を大事にしたいだけなんだ。 そのためには自分に思い知らせるしかないと思ったんだよ。 もうここに居ない彼女に向かって言っても 意味がないのに、時折思い出してはツッコミをいれてしまう。 思い出の中の私の面影に、私は笑ってしまいながら、 こうも変わってしまうもんなのかねぇ〜と寂しくも思った。
思い出話は取り合えずここまで。 さぁ、そろそろ行こうか? すべてに別れを告げて、 私は私に別れを告げて、今、私になる。 たった一つのこの名だけを持って、 親が付けてくれたかけがえのないこの名だけを抱いて、 どこまでも私であり続けよう。 それが私の感謝の証しであり、償いの印であり、 生き様であるから…
ナナナ
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