lucky seventh
DiaryINDEXpastwill


2006年10月09日(月) P−ス・オブ・ヘブン 身に余る幸福

神さま!!!


祈ってたって届かないのに

人はどうして、祈らずにはいられないのだろう?
















ピース・オブ・ヘブン
 この一欠けらでも神に還ったらいいのに。















世界を恐れた。
だただた、恐れて、遠ざけたかった。

目が覚めたら、一人ぼっちでいればいいと思うと同時に
隣で誰かが寝ていると、安堵するのだ。

なんたる矛盾。

この小さな手が握りしめるのは
形無き、幸福ばかりだった。
きっとそれはお金持ちであれば
より多くの富と財を求めていたのだろう。
きっとそれは才能であれば
失うことを恐れ、すべてを詰め込み残そうとするのだろう。

けれど、この手が握りしめた幸福は当たり前すぎた。

振り返れば一番幸せだった。
父と母と兄弟に囲まれた
そんな平凡なあり大抵の幸せ。
壊れず、変わらず
今だこの両の手で両の腕で抱擁するのは
そんな、そんな幸福たちだった。

それを見て、
先を見つめて悲観するのは 無駄と言う人がいるだろう。
顔を顰めて、
どうしてそうも悲劇的なことばかり考えると問う人もいるだろう。

でも、それが私なのだ。

こんな話を聞いたことがある。
幸福は、気付いた時にはこの手からすり抜けていくんだと。
失ってから初めて気付いた 幸福。
だが、幸福を知ると言う事は今度はそれを失うということを
心にとどめながら日々を生きていかなければならない。

それならば、果たして本当の意味での幸福は存在するのだろうか?

失ってから気付くのも
失うことに気付くのも
同じくらい、不幸だ。

いつだって、私は幸せだと大声で叫べても
同じくらい不幸なのだと嘆くのだ。


そして、私は私だけの世界で
幸福と不幸を完結させる。
たった一人の世界で、
抱きしめる腕も
暖める体温もこの身一つだけで、
ギミー・ヘブンのヒロインみたく
たった一人で孤島に佇む。


圧倒的な孤独
けれど、そこには自由がある。
己だけに縛られ続けるという究極の自由。
けれど、自由と引き換えに孤独にならなくてはいけない。








これ以上の孤独。
家族の友の手を 振り払って得られるのは
自由と言う名の孤独。














神さま
神さま

私はとても恐ろしいのです。

神さま
神さま
神さま

私は選べず狂っていくのが恐ろしいのです。
寂しいのです。


ここはどこですか?
私は






神さま
私は罰当たりの悪い子です。
怖がってなかりで 一歩も踏み出そうともシナイ 
臆病で情けない人間なのです。

救ってくれない貴方を否定するしかできない。
愚かで、小さな大人になってしまいました。
ごめんなさい。ごめんなさい。ごめんなさい。 ありがとう。


ナナナ

My追加