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■ 毎度お馴染みよくわからない自己考察とか。
相変わらず、落ちているようなおちていないような。でも、ネガティブです。でも自分メモのためにも。
友人に「りあはいじいじいろいろ考えるけれどいざそういう状況になったときの受け入れの早さとかっていうかけろっとしているところとかあるよね。」と言われることがあります。 う〜ん。確かにそうなったときの受け入れというのは・・・確かに早いのかもしれないと思います。なんでしょうね。それはそれであることしか出来ないのだからということなのだろうか。 某アニメで人の真実は人それぞれで人の数だけ真実があって、それは交わることが出来ないこともある。だからこそ、人は人を求めるのだろう。自分のみている真実と近い真実をみている人を。というような内容をみてなんかすごく納得してしまって。 他人に自分のことはわかることはないのだという思いとか、自分の思っている真実がけしてすべてではないのだとか、相手に求めることはするけれど諦めもしなければいけないのだということとかそういうことを考えて、だったら自分はどう生きればいい?と自分に問いをかけたことがある。本当にこう精神系の自己陶酔というか自己満足というか何と言うか好きな時期だったんだろうなぁと思うわけです。 そのときに自分は不の感情が苦手で、相手と争うことを極力避けたいと思う人間であることはわかっていたので結果。受け入れればいいのだということを考えました。ありのまま、そのままを。たとえ相手と違うことを考えたとしても。そういう生き方を選んだ気がします。選んでいる気がします。
現に今も、受け入れることをしたのだと思われます。今日少し朝話しをして、拒絶的な言葉を貰った。いわく「こちらは動かない。そちらが動け」と。歩み寄ろうとする姿勢はまったく無かった。考えようとか察しようとう選択肢さえなかった。そして、ふっと。そうかと思った。きっと泣き笑いのような状況だったのだろう事実そういう表情をしたのかもしれない。でも、それすらも察してもらえなかったと、思うのです。 ああ。そうか。これが私が選んだことなのだと思いました。相手がどうであれ、相手を選んだのは自分なのだから。 だから。だから受け入れることにしたのだと思います。 昨日より自分が落ち着いている。超えたのかなと思いました。だから、大丈夫なのだと思います。諦めて受け入れてしまったのだと、思います。もう、いいやと思ってしまったのだと思います。 でも。それが、少し哀しいと。思ってしまいました。
気持ち悪い日記だなぁ。どこの中学生だろう。
2011年05月16日(月)
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