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女心(その一) - 2002年03月23日(土) 女心がよくわからない。 いや、女心が本当にわかる男なんているんだろうか、とも思う。 男の考えていることのシンプルさ、わかりやすさに比べると、女心は解読不可能な暗号のようなものだ。 会社にひとり、わりと親しく話をする間柄の、後輩女性社員がいる。 同じ部署だったことは一度もなく、まあ、課外活動のようなもので親しくなったのだが、お近づきになった10年以上前は、彼女は人妻、僕は独身だった。 それから数年して、彼女は離婚、僕は時期をほぼ同じくして、1年前から付き合っていた女性と結婚式をあげた(つまりそれが現在の妻だ)。 僕たちは入れ替わるかたちで、離婚・結婚したわけだ。 僕は人のもちものである「人妻」に基本的に興味がないので、独身時代に彼女になんらかの思いを抱いたことはなかった。 彼女とその夫の間がうまく行っていない、という情報をそれとなく聞いていても、である。 彼女も、離婚するまでは、独身の僕には、そういう夫婦の危機的状況を一言も話さなかった。 そんなわけだから、僕のほうは、お気楽にも、今つきあっている女性のことをあれこれしゃべったりしていた。 言ってみれば「おのろけ」である。 それを聞いて、彼女は「いいわね」「がんばってね」という、「いい人」的発言しかしなかった。 実際、彼女という人は、人前ではいつもニコニコと笑顔を絶やさず、仕事でもつねにソツがなく、「出来ません」「イヤです」的な発言は絶対せず、常に「やってみます」という模範的な態度をとっていたので、おじさま族のウケは圧倒的によかった。 彼女の社内におけるパブリック・イメージは、そう、「聖母マリア」、そんな感じだった。 彼女が離婚したとき、僕はかなり驚いた。 それも離婚したという事実にではなく、彼女のような寛大そうな女性が、夫のただ一回の浮気を許さなかったということにである。 後日、その浮気の事情がはっきりとしたのだが、彼女の夫の浮気相手であった某女性社員は、他の上司などの何人かとも関係を持つような、相当タチの悪い「男たらし」だったのである。 「ひとのものほど、欲しくなる」という、その手の女だったのである。 だから、その女にとって彼との不倫は、ほんの「つまみ食い」にすぎなかったし、ほうっておけば早晩終わってしまうような火遊びだったのだが、その浮気を決して許さなかった。 その彼女の「情の強さ(こわさ)」に、僕は驚愕した。 あのマリアのごとき、慈愛に満ちた(ように見える)女にも、情念の炎が燃えさかっていたのか。 何年も彼女を間近に見ていながら、まるきりその「本心」を見通すことのできなかった自分は、いかにも人を見る目のない、のほほんとしたお人良しであることを痛感したのである。 ことほどさように、女心はむずかしい。 長くなりそうなので、この続きは明日以降で。 ...
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