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リスク - 2002年04月03日(水) 昨日までの日記を読まれたかたは、僕が「不倫」に対して全面的に否定的な考え方をしていると思われたかも知れない。 でも、実はそうではない。 人間というものは、「誤謬」する生き物だと思う。 あるとき、これが正しい選択だと思ってやったことが、後日間違っていたと気づくというケースはいっぱいある。 「伴侶の選択」、しかり。 どんな人間も、自分の人生に関しては、結局ひとよがりな決断しか出来ないものである。 ことに若いうちはそうだ。 だから、結婚してしばらくしてから、やはりこの相手を結婚したのは間違いだったと思うようになったとしても、無理からぬことではある。 そういう意味で、人生をやり直すために、最初の伴侶と別れて、別の相手と一緒になるという行動は否定しない。 しかし、そのつもりもなく、ただただ「火遊び」「つまみ食い」に過ぎない行動を、「恋愛」の名のもとに美化するようなタイプの「不倫」は、愚行以外のなにものではないと思う。 ことに、不倫相手に対して、「妻とは別れる」などと言って期待させておきながら、その実、まったく妻と別れる気のないような行為、これは妻同様、愛人さえもあざむく卑劣なことだと思う。 そんな二重の不実をするくらいなら、最初から「君とは遊びでしかないから」と宣言して始めればまだゆるされるのに。そう思う。 (が、現実には、そう言ってしまうと、相手にされないという危惧から、見え透いた嘘をつくヤカラが多いのである。) 取り引き先の会社に、Bさんという男性がいた。 彼は、妙に人なつっこい感じの、陽性のひとだったが、仕事を一緒に続けるうちに、彼が、なかなかいわく因縁のある家庭に育ったことを知るようになった。 彼の父親は、有名な作曲家だった。 おもにポップス系の歌謡曲を数多く作曲し、いくつものミュージカルも手がけ、その代表曲は音楽の教科書にも載っている…といえば、これをお読みの皆さんにも、おおかた察しはつくであろう。そういう超有名なコンポーザーであった。 しかし、Bさんに聞くと、父親とは一緒に住んでおらず、母親とだけ同居しているという。 その事情が、そのうちはっきりしてくる。 Bさんの父親は(実はもう故人であるが)、生涯に五回くらい(正確にはよくわからない)、結婚したひとだそうなのである。 つまり、何度も結婚と離婚を繰り返したということだが、新しい女性とデキてしまい、離婚するたびに、ヒット曲で稼いで買った家を妻子に明け渡し、しかも、生活費・養育費もずっと各家庭に払いつづけたという。 なんという、潔さ。 そのくらいの負担をしょいこむ覚悟なくして、浮気だの離婚だのをしてはいけないのである。 きょうびは、男女平等やら、女性の自立だのなんだのと言い訳をして、離婚にあたってろくに別れた妻や子に生活費を払わない男性が多いようだが、少しは彼の「別れの美学」を見習っていただきたい。 そういえば、鞍馬天狗役で一世を風靡した嵐寛寿郎さんも、何度も結婚と離婚を繰り返し、そのたびにすってんてんになっていたと聞いたことがある。 その心意気や、よし。 そういう行動をアホらしいと思う人間は、昨日登場した、ケチくさい「つまみ食い男」と同類項だと僕は思っている。 リスクを背負う覚悟のないイージーな不倫だけは、絶対認めるものか。 ...
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