六本木の魅力 - 2002年05月23日(木) 前回の最後のほうで、ちょこっと六本木の話が出たので、書いてみる。 何をかくそう、六本木は僕にとって最もかかわりの深い街のひとつだ。 学生のころは数回しか足を踏み入れたことがなかった。 が、社会人になってからは、この街で一体どれだけの夜を明かしたことか。 おそらく、千回は軽く越えているだろう。 まるで、「アラビアン・ナイト」、だな(笑)。 入社してから十年目ころまでの僕にとって、 「飲みに行く」 とは 「六本木に行く」 こととほとんど同義だった。 一体、六本木のどこが、僕をそんなに牽き付けたのだろうか。 六本木の最大の魅力は、 「自由人の街」 であること、 いいかえれば、 「“社用族”が偉そうに出来ない街」 であること。 このことにつきるように思う。 自分だって、言ってみれば、会社のカネで酒を飲むことも多い社用族のはしくれなのだから、こういうことを言うのもナンなのだが、そこが銀座や赤坂といった街とは絶対に違うところであり、だから素晴らしいのだと思っている。 銀座や赤坂のバー・クラブ街は、なんのかんのいっても、日本の多くの基幹産業をスポンサーを持つことによって成立している場所だ。 銀座や赤坂で一番エラそうな顔を出来るのは、個人で札ビラをきって飲んでいる自由業のオカネモチではなく、やはり重厚長大型の「一流企業」の偉いサンなのである。 だが、彼らも、所詮、ひとのカネで飲んでいる連中に過ぎない。 バブルが崩壊して、多くの企業が左前になると、真っ先に「交際接待費」が削られ、多くの高級クラブが干上がった。 かつての彼らは、「予算があるから」銀座の店を使ったに過ぎない、そういうことだ。 その予算も涸れてしまえば、誰もバカ高いだけの店になんか行かなくなる。 銀座も赤坂も、現在でもむかしからの高級店が残ってはいる。 が、もはや昔日の偉容は望むべくもない。 しかし、六本木は二者に比べると、いたってカジュアルで庶民的な場所だ。 高い店もあるにはあるが、そこを利用する客も、だいぶんステージが下になる。 電波、広告といった、マスコミ関係の若手社員(ひところもてやされていた「ヤン・エグ」の多くは彼らだ)は六本木で遊ぶことが多いが、彼らだって銀座あたりに行けば、ナショナル・クライアントの提灯持ち、いわば「コワッパ」にすぎない。 そして、そんな旧ヤン・エグ連中よりさらに偉いのは、 「芸能人」 であったり、 「フリーランスの人間」 であったり、 なかんずく、 「外国人」 であったりする。 いってみれば、家を買おうとしても銀行からお金を借りることの出来ない人々ばかり。 億単位の家も現金で買わないといけない、自らの才能しか頼むもののない、「自由人」。 こういった人種が、みずからのポケットマネーで飲む場所だからこそ、サラリーマンの縄張りにはない魅力があるのだ。 実際、僕も得意先の接待という「仕事」でない限り、つとめて自分のカネで飲むことをポリシーとしていた。 身分はリーマンかも知れない。が、根性までリーマンに成り下がるまいぞ、と。 それこそ、ひとり二万以上ふんだくるような店にだって、自腹で行った。 だからこそ、自分より年下の連中に対して、 「会社のカネでした飲み食いを、自分の遊びのキャリアにカウントするんじゃねえ」 と大見得を切れるのだと思っている。 身銭を切ってこそ、初めて「遊び」と呼ばれる資格がある。 六本木はそういう「美学」を持った街だからこそ、僕を牽き付けてやまないのである。 ...
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