まーくん的日常...まーくん

 

 

夜遊ビノススメ - 2002年05月27日(月)

前々回、前回からの流れで、ちょっと「夜遊び」について書いてみる。

おおかた男とは夜遊びが好きなタイプと、まったくしない、あるいはしたとしても、周囲の人間に引っ張られでもしない限り行かないし、行っても面白く感じないタイプとに分かれると思う。

前者は後者のことを「なんでこんなに面白いことがあるのにやらないんだろう」と不思議がり、後者は前者のことを「なんてバカなことに高いカネを使ってやがるんだ」と白い目で見る。

どっちも、間違ってないんだけどさ。

夜遊びに限らず、「遊び」なんて、まさに趣味嗜好の問題だから、わかるひとにはわかるし、わからないひとにはわからないのです。

さて、「夜遊び」は、実は不況日本の経済を蘇生させるためにも、大いに振興すべきであると僕は思っている。

なぜかといえば、
バー、クラブ、キャバレー、キャバクラといった場所で夜遊びをすることで、
そこに勤める(アルバイトを含む)女性が経済的に潤う
→彼女たちがそのお金を使う
→日本経済が潤う
という図式があるからだ。

これは「風が吹けば桶屋がもうかる」なんてハナシより、よほど信憑性があると思うんだけどね。

どんな不況のときだって、(いや、不況のときだからこそ、かも知れない)、オトコは若い女性と擬似でもいいから恋愛をしてみたいものである。
テレクラ、ヘルス、イメクラ、ソープといった、いわゆるフーゾクもあるが、あれはどちらかといえば下半身の欲望直結型で、メンタルな意味での恋愛願望をみたしてくれるものではない。

フーゾク好きなひとの中には、
「クラブなんて、いくら足しげく通ったって、ホステスをうまくモノにする保証なんか何もないじゃん。あんなまだるっこしくて、カネばかりかかるのはイヤ」
というムキも多いのだが、
その「まだるっこしさ」にこそ、良さもあったりするのだよ、センセイ。

うまくいかない事のほうがもちろん多いのだが、たまに「擬似」とも思えないくらい、ホンモノの恋愛に近い気分も味わえる。

それを単純に「費用対効果」だけで「つまらない」と判断してしまうような「野暮」なひとに「遊び」を語ってほしくはないナ。

思えば江戸時代の粋人たちは、エラかった。
お金を出せば女性を買うことが出来るはずの「遊郭」という場所でも、上級の女郎になれば、「気にいらないお客とは寝なくてもいい」という「拒否権」があった。

そういう拒否を受けても、文句をいわないのが「粋」な態度であり、力づくでモノにしようというお客は「無粋」なヤツとバカにされていた。
僕らも、そういう「遊びの美学」をもちたいものである。

このハナシ、延々と続きそうなので(笑)、今後もちょくちょく書かせてもらいます。


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