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青春に乗り遅れ(二) - 2003年07月31日(木) 東海道線に乗って東京駅を出発、箱根登山鉄道に乗り換えとなる小田原駅に僕が着いたのは… すでに登山鉄道が終電となってしまった11時過ぎであった。 「そうか、この線は他の私鉄と違ってやたら終電が早いんだ!」 今ごろ気づいても遅いっての。 そうなるとアクセス手段は駅前から拾えるタクシーに限られる。 小田原から小淵沢までは、深夜料金なら1万円(!)ほどかかるだろう。(もちろん当時のレートで。今ならもっとする) 嗚呼、なんてことだ。 でも、それでも、僕は行くことをあきらめることが出来なかった。 このまま行くことを断念したら、「青春」という名の列車に乗りそこなって、一生悔いることになるような気がした。 ちと大げさ? でも、当時の僕にとっては、仲間たちが金曜日の夕方からバーベキューを楽しんでいるのに,自分ひとりだけ仕事に忙殺されて参加出来ないという事態が許せなかった。 なんとか、自分も彼らと同じ列車に飛び乗りたかったのだ。 ためらうことなく、僕は一台のタクシーを拾うと、行き先を告げた。 これで、ひと安心だ。着くのは零時くらいだろうが、宵っ張りの仲間たちならまだ起きているだろう。 …が、困った問題がひとつ発生した。 タクシーの運転手いわく、このへんの道にくわしくなく、知っている道で行くため、少し遠回りになりますがという。 よほどその車を降りて、別の車に乗え換えようかと思ったが、それも剣呑だし、次の車をつかまえるのも大変なので、ガマンすることにした。 車は夜の闇の中、延々と一本道をひた走っていった。 そのへんの地理にはうとい僕にも、ひどく迂回して走っているように感じられた。 いつまでたっても、目的地が見えない。 ついに時計は零時を告げた。 が、着く気配はさらさらない。 もう、僕はだまされて、まったく違う場所へと運ばれているんじゃないかとも思うようになった。 焦燥と不安に煽られて、僕は混乱の極みにあった。 零時を20分ほど過ぎたころ、ようやく仙石原にさしかかった。 一応、地図を持って来た僕はそれを運転手に渡した。 少し道を探した後、とある坂道を上がったところで、車は停まった。 メーターは1万4千円を指していた。(溜息) 代金を運転手にたたきつけるように払って、僕はまだ熱気の残る車外に降り立った。 涙こそ出はしなかったが、もう心の中は土砂降りのような状態だった。(この項続く) ...
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