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鉄塔写真が好きです、特に夕暮れのシルエットが大好きです、という話をとある場所でしていたら、それじゃあこんな本なんかどう? とお勧めされたのが、『鉄塔武蔵野線』でした。原作は未読なのですが、先日たまたま映画版を見る機会があったので、たまには(恐らくは生まれて初めての)映画感想など(5/26追記)。 武蔵野鉄塔(実在するそうです)に通し番号が打たれていることを発見した小学生の主人公が、友人と一緒に1番鉄塔を目指す、数日間の冒険譚なのです。もう、映画の冒頭から最後まで、夏休みの風景や匂いや音が満ち満ちています。 主人公たちの行く手には、度々大人たちが「立ちはだかる」のですが、優しい言葉も厳しい叱責も、旅を邪魔する障壁でしかないのだ、と考えると、どれだけ諭されても罵られても、決して目的地を明かさない頑とした表情の裏には、ただ秘密を守るためだけでなく、どうせ理解してはもらえまいという想いがあるようにも思えてくるのでした。 主人公が「今、自分は人生の中でも最も幸せな時間のひとつを過ごしているんだと分かった」という風に独白する場面があって、自分が同じくらいの年頃にきっと味わったことがあるだろう至福の瞬間(でもそれが幸福であると気付かないままに通り過ぎた幸福な時間)に思いを馳せていました。子ども時代は「一年」と言えば気が遠くなるほどに長かった、ということにも。 夏休みの高揚感だけでなく、気だるさや侘しさまでをも懐かしく思い返す日がいつか来ようとは、あの頃には想像だにしませんでした。そして、「夏休み」という言葉の響きには、どうにもセンチメンタルな気分にさせられます。 もちろん、鉄塔も盛り沢山に登場するのですが、例えば主人公と同じ発見をしたならば、私も番号順に辿るくらいのことは実行に移してしまうかもしれないけれども、叱られたり追いたてられたり、という危険を冒してまで「鉄塔の真下にまで行く」という最初に決めたルールを守るだけの情熱はもう持ちえません。それが妥協を覚えるということ、社会の「常識なるもの」を遵守するということか、私もいつの間にか大人になってしまったものだ……、とふと苦笑交じりに思ったのでした。 ![]() ![]() ![]() ![]() |