日記帳




2011年01月02日(日) 行く先・来し方

創作仲間さんたちの間で話題になっていた「物書き進化論」を興味津々で拝見していたのですが、読んでいるだけでは飽き足らないような気がしてきたので、自分でも振り返ってみることにしました。実際の文章を引用した方が分かりやすいのだろうとは思うものの、読み返し始めると今度は手直ししたくなるのは目に見えているので、割愛いたします……。
長々と、しかも私本人の反省録のような趣が漂ってもおりますが、宜しければお付き合いくださいませ。

・「アクアリウム」時代(2001年頃)
このシリーズの第一章だけを引っ提げて、見切り発車で創作サイトを開設してから早10年……。うわあいろんなことにびっくりだなあ……と遠い目をしていても始まりませんね。
この頃は、若気の至りか気の迷いか、「剣も魔法も出てこないファンタジーを書いてやるんだ!」という妙な気負いがあったのでした。しかしこのシリーズは、舞台設定こそ多少は異世界風ではあるものの、それ以外の部分はごくごく日常の出来事で……というか、出来事自体起こっていないので、「ファンタジー」を名乗るのはおこがましいというかなんというか。そもそも、この時の私が書きたかったのはこの物語の「空気」だったように思います。目立ったエピソードはなくとも雰囲気と文章だけで読ませたい、更には美しい言葉を使わずに綺麗な文を書きたい、とこれまた大それたことを考えていたのです、当時は……。後者については、今でも私の根底にある目標ではありますが。

・短編摸索時代(〜2005年まで)
この間にサイト休止や大改装やらを敢行したため、細かい創作履歴が消し飛んでしまっているのですが、この数年間は企画に参加させていただいたり、単発の短編(掌編)を書いてみたり、とあれこれ摸索していたような記憶があります。並行して未だ完結を見ない長編もスタートしています。
記録が残っていないとはいえ、この期間の私はモノカキとして割と活発に活動していたように思います。多分一番読まれているであろう「猫のいる風景〜黒猫」を書いたのもこの時期でした。本人はそう意識してはいないのですが、ほのぼの話書きと私を評して下さる(有難いことに)きっかけになったのが、この「黒猫」だったのかもしれません。
この頃に書いたものの中で、何かしらその後の創作に影響を及ぼしていると私自身が感じているのは、「白く・儚く・歌う」(視点設定の面白さに目覚めてしまった)と「月花蝶舞」(細部書き込み癖が随所に見られる)の二編です。

・「バベルの塵」時代(2006年)
これは書き上がるまで本当に苦しかった……そして、推敲にかけた労力は(結果はともかくとして)、今もってこの掌編が一番なのではないかと思います。余りにも、書いては消し書いては消しを繰り返したため、出来上がり枚数は13枚とコンパクトだというのに、書いた本人にはこの何倍もボリュームがあったように感じられて仕方がないという……。
書き手である私にとっては非常に思い入れの深い作品ではあるのですが、しかし内容的には作中に出てくる「鉛直球」という装置の説明に終始してしまったという反省があり、読み手の皆様に受け入れてもらえるとは、正直なところ全く思っていませんでした。それが、思いがけず好意的な感想を数多くいただくことができ、驚くと同時にとても励みになりました。作者冥利に尽きるとはこのことか、好きだと言ってくれるひとがひとりでもいるならばまだまだ書き続けられる、としみじみ嬉しく思った記憶は、今でも私の原動力になっています。有難いことです。
歯ぎしりするような思いでなんとかかんとか仕上げたこの作品以降、「文章の整形」という作業に対してこれまで以上に拘るようになった気がします。それが、現在の遅筆っぷりに拍車をかけているという説もありますが……。

・「眠る羽音は雨上がりの夢を見る」時代(2007年)
もともとは別々に思い付いた、しかし単独で物語を完成させるには弱い、という複数のネタ(「失われた王国の話」と「雲と共に旅をする男の話」)を合体させて創ったものです。視点も「雲と旅をする男の一人称」→「男と出会った若者の一人称」→「男と出会った若者から偶然話を聞いた女性の一人称」と徐々に円を広げていくようにして、最終的には今の形になりました。
この話から得たスキルはふたつ、「どうにも行き詰った時には、ストーリーを眺める視点を一回り外に広げてみる」「単発では使い道のないネタもいくつか組み合わせれば活用できることもある」。

・「レディ・ダァリア」時代(2008年)
私の書く話というのは、地味か派手かの二択ならば間違いなく前者だと思うのですが、その地味さを払拭してみようという目標のもとに書き始めた……のですが、ハードルは高く未だ苦戦中です。自分の書く物語に起伏が少ないことは以前より自覚していたので、その辺りの改善をと目論んだのは良いものの、どう考えてもハッピーエンドを迎えられそうにないのは作者の登場人物に対する愛情が足らないからなのか(悩み中)。プロットをこねこねと考えれば考えるほど、バッドエンドに向かって突き進む傾向がある、のはかねてからの懸案事項でもあります。あと、登場人物の仕草の描写に力を入れる、というのもこの話の隠れテーマのひとつです。

・「まほろばを泳ぐ赤き魚」時代(2010年)
現時点で最新作になるこの短編は、とりあえず時系列のばらばらなエピソードを量産して次々に突っ込み、それをできるだけ違和感のないように繋ぎ合わせる、という方法で書いています。そのため、私にしては画期的なことに、あらかじめ各場面を短文にまとめて番号を振って表にしておき、その順番通りに書き進めました(いつもは、大まかなプロットを頭の中だけで組み立てて、あとは書きながら細部を考えるのが常なのですが)。
「親子の情」なるものを扱う、というのは、どちらかといえば心理描写が苦手で情景描写にばかり偏りがちな自分への挑戦でもあったのですが、これはまだまだ今後の課題として向き合っていかねばならないようです。近頃、自分の書く文章が回りくどくなりつつある、というのも留意事項のひとつ。


結論としては、これは進化論ではなく迷走記録なのではなかろうか、と思われて仕様がありません。少なくとも、変化の過程であることは、間違いない、ですね……。
ともかく、今年も新しい進化の1ページを加えられるよう、努力いたします!





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