2002年12月26日(木) |
日記を続けるのか、やめるのか。でもたぶん・・・ |
久しぶりの日記は反響が大きかったとでも言いましょうか。 心配してくださる方の多さがうれしい。反面、どんな人が呼んでいるのかわからない怖さ。 私はそのどちらも知っている。だから、うれしさと怖さのどちらをもとることが出来ないでいる。 たとえば、私は自分の悲しみや辛さを一人で乗り越える勇気がない。だから多くの人に話を聞いてもらうことで救われる。 しかし、それをよしとは思わない人もいるわけで、どうしてそういう事を人に言うの??と忠告してくださる人がかなり多いのです。
私がここまで日記に執着しているのは、この日記がビアンとしての私の気持ちを唯一出せる場所だからなのです。それは色々なサイトでもよかったし、同じセクシャリティの友達でもよかった。日記を書き始めるまではそこに求めてもいた。 しかし、彼女ができ同性愛という事柄について言えば、共有できる部分を見つけた頃から、不特定多数の方とのつながりを持つチャットであるとかサイトなどが、かなり虚しく思えていたのは事実なのだ。 ただ、彼女一人にそれを押し付けることはしたくなかったし(事実は、そうなっていたようですが)どこかに気持ちをぶつけてみたかったとでも言いましょうか。
私が日記を書く事で、傷つく人もいたようで、また、書いた後で自分も傷つく。そういうことに無頓着な私は日記を書くべきではなかったのかもしれません。
ある人に、私は日記に依存しているのでは?と聞かれたことがあります。 その人はかなり確信を持って言葉にしたようですが、多分当たっているのでしょう。 色々な悩みもあります。うれしいこと楽しいこともあるけれどそういう事ばかり書くのではなく、やはり私のセクを唯一出せる場所としては、何があっても無くしたくはないなぁと考えています。
失恋話を書くなとお叱りのメールを下さった方には、大変申し訳ないのですが、それも私のセクシャリティの一部として、私は記憶しておきたい。 もし、私が、それに対して謝るとしたら、失恋の相手がこれを不愉快に思ったり、嫌悪感を感じたときでしょう。 彼女が私にどう感じているのかは、今のところ直接聞かない限りは答えは得られないでしょう。
そして、励ましてくださった方々・・・。私は自分の気持ちを皆さんに言わないでおきます。私は、自分で後悔しない選択をしているつもりです。失恋と聞くと色々心配されるのだなと、改めて感じました。慰めてくださったり、優しい言葉をかけてくださったり・・こうして日記を読んでくださる人達に大切にされていると感じるので、続けていく勇気をもつことも出来ます。
今はまだ、この両極端な反応に戸惑っているのですが、私はやめるにしても続けるにしても、後悔だけはしないようにと思います。
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