2003年03月21日(金) 願うだけで十分なのではないでしょうか。
はじまってしまった。
戦争が、はじまってしまった。
あたしにはあえて、今言うべき事は何も無い。
発言をする立場じゃない。
賛成でも反対でもない。
人はあたしみたいな人間を、同罪だ、とでも叫ぶのでしょうか。
頭の悪い、馬鹿げた、血も涙も無い卑劣な人間だ、と。
戦争反対の意味が、あたしには分からなかった。
人を殺すということに反対なんですか?
アメリカの判断に反対なんですか?
あたしは人を殺すのは決して良い行動ではないと思う。
そうして、アメリカの判断は決して間違っていないとも思う。
だから反対だとも賛成だとも言わなかった時、
『最悪』とか『同罪』とか言われたけれど、何も言えなかった。
最悪かもしれないけれども。
あたしの考えにあてはまる言葉が見当たらなかった。
今の言葉は決して真実や本当の心のうちをそのまま写してはくれない。
戦争反対、という言葉は、
今となってはアメリカ反対、というニュアンスも含まれているじゃない。
戦争に反対するならば、悪いのはアメリカではなく
両方の国であり、全ての国だと思います。
無関係な人間なんていやしない。
全ての人がいるから、全ての国がそこにあったからこそ、
今、戦争という恐ろしい行動が行われているのだと思います。
同罪は、全ての国と人間です。
全ての人と国が、同じように罪を背負っているのだと思います。
例えばこの私も。
戦争には意味があります。
そうでなければ自国を信じで戦場に向かう戦士たちは、
本当に無駄な存在になる。
意味があるけれど、その成果や意味は
決して正しくはないのだとも思います。
必要な行動ではなかった。
けれどそうしなければならなかった。
正しくは無かった、けれど間違ってもいなかった。
だれにもこの行動を
正しい言葉では説明できないはずです。
良いも悪いも無くて。
混沌としていて。
あたしには何もいえないと思いました。
賛成している人も、反対している人も、無関心な人も。
みんな同じだと思います。
みんな自分が正しいと思っているかもしれないけれど、
みんな決して正しくは無い。
間違っていないけれど正しくは無い。
だからあたしの言葉も正しくない。
賛成する人も、反対する人も、無関心な人も。
好きではないけれど、嫌いでもないです。
みんな同じ罪を背負っているからです。
あたしは沈黙しています。
そうして沈黙するという行動も、同じように正しくは無い。
ただ、1人でも犠牲者が少なければ、と。
そう思うだけで、あたしには精一杯です。
今更ながらに「イラクの人々はかわいそう」と言うならば、
もっと前にそれに気づくべきだったんだ。
「かわいそう」だから「戦争」を止めろと言うならば、
どうしてもっと前に、「かわいそう」な人々がいることに
気づく事が出来なかったんですか?
手を差し伸べなかったんですか?
これが切欠でそう思ったことはとても大切。
大切だけれど、「戦争」がおきているから「かわいそう」ならば、
それは少し違う気がした。
「戦争」が起きても、起きなくても。
ずっと前から「独裁」という言葉に縛られていた人々は、
ずっと前から辛かったかもしれない。
「戦争」が辛いか「独裁」が辛いかは、
比較すべき事ではないけれど。
辛いか辛くないかは、個人が決める事だ。
そんなことを私達が勝手に決めたり、思い込んだりするのは
やっぱり少し違うと思った。
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After
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photo by nezi-shiki