ワイルドアームズというゲーム - 2002年04月27日(土) ここ一年ばかり私の生活に食い込んでいるゲーム。それは『ワールドアームズ』のシリーズである。 去年から『2』をすでに2回以上はプレイしている。このゲームのB級的楽しさは、ちょっと口では言い表せないほどである。 そこで今回、順序が逆であるが『1』をプレイした。すでに5年も前にリリースされたゲームなので、ヴィジュアルなどは勿論古めであるが、ゲームの楽しさはそんなものに左右されないものである。 大抵のゲームは初回作のほうが続編よりインパクトもあり感動もあるものだが、私としてはこのゲームに限り断然『2』を支持したい。 なぜかと考えるに、これはテーマの違いかもしれない。 『1』のテーマは『勇気』であったように思う。無謀と勇気の違い、真の勇気とは他者のために自分を越えること。なかなか良い結論であったと思う。 然るに『2』のテーマは『英雄』なのである。英雄とは何か。人々を救うために命を投げ出す、あたかも生贄のごときものなのか。人々がすがる便利な存在として、己を捨てねばならないのか。このテーマを巡って、英雄の名を負って自分の名を捨てた男、英雄を夢見る若者、生贄にされる少年、姉を英雄視する小さい魔女、英雄の血を受け継ぐため自らをすり減らす女…といったキャラクターが動いていく。 『勇気』は個人の意思の問題だが、『英雄』は社会的な問題ともいえる。 そのためか『2』の方が組織や国家などに重点を置いたシナリオになっている。 『1』の物語は楽しく、まず歯ごたえもあるものだったが、キャラクターは皆ごく素直でピュアな行動原理しか持っていなかった。 『2』の、英雄とそれを期待する人々というテーマは非常にきわどいところもあり、結果、人には裏も表もあるというところをじっくり描くことになった、と自分は思っている。 すでにピュアでなくなったオトナの自分には、このくらいのテーマの方が説得力があるのである。 それでいて『2』の遊びっぷりはたいしたもの。30代ならば爆笑請け合いのアナクロネタの数々…。そのへんがまたB級臭くて素晴らしいのである。 -
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