2002年07月28日(日)
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シェークスピアの故郷 |
学校がバスをチャーターして、6ポンドでストラットフォード・ アポン・エイボンに行かれるというので申し込んでいた。 体調がいまいち良くないので、どうしようかなあと悩んだけど、 結局中国人のフラットメイトが迎えに来て、いくことにした。
珍しい快晴で、確かに気持ち良かった。 彼の生家は、入場料は確かに高いが、展示は面白く作っていたと思う。 オックスブリッジなどを卒業していなくて、 成り上がりと言われてたらしいので、 貧しい家の出なのかと思っていたけど、 この村の名家だったらしい。父は村長にまでなっていた。 彼の作品にでてくるあらゆる種類の花を集めたという庭は、 花盛りでとても綺麗。そこでイタリア人の団体に会う。 「韓国人か?」と聞かれたので、Noと答えると、 じゃあ行っていいと言われた。 ワールドカップの件か? あの試合は確かに色々言いたいことはあるのはわかるけど、 何も旅先でまで・・・。
生家は一時期Innになっていたそうで、 客用寝室がInnの部屋にアレンジしてあった。 彼が、妻のアンに「2番目に上等な寝台」を残したという話は、 モンゴメリーの「丘の家のジェーン」で読んでいた。 「なんで、彼は妻に2番目に上等な寝台を残したんだと思うかい?」 「きっと彼の奥さんは、その寝台が一等好きだったのよ。」 「ああ、ジェーン今までこの問題を論議してきた研究者たちに、 お前のような健全な問いが浮かんだことがあっただろうか」と 言うやり取りがあったのだが、学芸員の話によると、 一番上等な寝台は客用寝室のそれを指し、夫婦で使っているのが、 2番目なんだそうだ。 だから、一番上等なのをわざわざ遺言で残す方がむしろ、 愛情を疑われるらしい。
エイボン川で、30分のクルージング。風が爽やかで気持ちよい。 片側は草原で、もう片側には、洒落た建物が並ぶ。別荘だろうか? 彼の遺体が眠っているトリニティチャーチへ。 床の墓石に赤く印がつけられている。なんだかな。 川辺に立っていて、年振りた墓石が並んだ墓場もむしろ風情がある。
フラットメイトのマギーと埋葬と死生観に付いて話し合う。 やっぱり49日の審判という考えは中国にもまだ残っているのね。 でも基本的にSpiritualなものは信じてはいけないのだと言う。 まあ、共産主義だからね。それはwrong consciousnessなのだ。 でも、儒教思想だと先祖供養が大事なので、最近の市場開放で、 お金を稼いだ人は自分自身の土地を買って、お墓を立てたがるのだそうだ。
その帰り道、パブと公園の間の石垣に登って、スピーチをしている人を 見かける。私たちが通りがかった時はタリバンの話だった。 こう書くといかにも陳腐に聞こえるが、大事なのは愛と平和だということを、 韻を踏んで独特の抑揚で、フレーズを繰り返しながら話す。 そして、「こうして休日にアイスを食べて木陰で本を読む、 それが大事なことじゃないか、それが平和ということじゃないか」 と言いながら、 何の本を、読んでいるのかを、周りの人間に聞く。 何人かが答えた返事の中に、「チャタレイ夫人の恋人」というのがある。 すると、「そうそれこそが、愛というもの。」と言って、 今度はチャタレイ夫人の恋人に話を絡めて、続きを語りだすのだ。 うまく説明できないけど、面白かった。 最後の口上は、「真夏の夜の夢」のパックの文字りかなあ。 ストラットフォードだし。
その「真夏の夜の夢」の綺麗なカードを買ったので、 リデルに送ろうかと思う。
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