:NO LIFE KING:
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今日の日記は空回っています。 一度書いて、時間おいて読み返してみたら、 思いがひどく空回っている気がします。…すいません。(でもそのままアップだ!!)
追悼の意味を込めて観て来ました。 劇団往来による「煙が目にしみる」。 舞台は斎場。 荼毘に附されようとしている男二人と、彼らを見送る親族たちや、恋人。 「死」をどこかあっけらかんと笑い飛ばしながら、 それでも強く胸を打つ、逝く者の潔さ、残される者のやるせなさ。 いつか人は死ぬ。必ず死ぬ。 去る者は悔しい。 残る者は淋しい。 それでもやっぱり「死」はやって来る。 消えてなくなって、そうして逝く人の思いは、残された人に残る。 この作品の原案者でもあり、 劇中、死んだ野々村をかつて演じていた鈴置さんは、今はもうこの世にはいません。 大好きな彼が遺したこの作品を、どうしても今、舞台で観ておきたかったのですが、 今日私が観たのは、前に彼が出ていたカンパニーでもないし、 演出も違う、台詞も大阪弁に置き換えられているにも関わらず。 様々な想いが巡り、舞台の記憶が蘇り、こんなにも辛い観劇は初めてだったかもしれません。 余りに辛かったので途中、よほど席を立とうかと思いましたが、 こんな素晴らしい舞台をやはり見逃してはならないと思い、最後まで見届けました。 堤さんは本当に優しい脚本を書きますね。 コミカルでおかしくて笑ってるのに、気がつけば涙が止まらなくて、 どうやってこらえればいいのか、凄く苦労しました。 演出は違えど、脚本の素晴らしさは全く薄れる事なく伝わって来るものです。 改めて、この戯曲が私は好きなのだなと思いました。 6年前に初めて観た時よりもずっとずっと心に響いて胸が震えた。 失って初めて。 年を重ねてようやく。 わかるようになることがあるのだなと、そう思います。
この愛おしい戯曲はきっとこれからもずっとずっとどこかで上演され続けてゆくと思います。 もし、今日のこの日記を、必然であれ偶然であれ、何かの縁で目にして下さった方がいたら、 そしてもしまだこの舞台を観た事がないという方がいたら、 いつか、どうか、一度、この作品を観てもらいたいと思うのです。 今すぐじゃなくても構いません。 大切な人ができた時。大切な人を失った時。 どうかこの「煙が目にしみる」という戯曲の事を心の片隅にでもとどめておいて、 年を重ねていつかふと、ああそう言えば、と思い出す事があったなら。 誰のもとにも当り前に訪れる「死」を巡るこんなにも切ない温かい、優しいお話を、 できるだけたくさんの人に観てもらいたいと思うのです。
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