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2004年06月10日(木) 今日のはおもしろくないと最初に言っておきます。

こんばんわ。ゆみなです。
連日マメに更新しているので、今日もしないわけにいかない。
やなのかよ!


それにしてもるる。心配だったろうな。自分がいたならともかく留守中の出来事となるとそれはもう余計に心配してしまうだろうし不安にもなるだろう。
でも、子供ってこうやって自立していくんだろうなと思う。
周囲の人たちに迷惑をかけながら心配かけながら、
「自分の行動には責任を持たなくてはいけないのだな」ということを学んでいくのだろう。
そのたびに親はある時は叱り、ある時は黙って見守る勇気を持たなくてはならないのだろうね。
どういう時には叱るのか、見守るべき事柄とはどういう事を指すのか、その見極めが大切になってくる。
るるはタッキーちゃんの「おかあさんがいないから遅くまで遊んでいいんだ」発言にショックを受けていたようだが、
それは子供としては普通の感性だ。
どこの子供だって皆、親がいないときは自由奔放にしてみたいもんだ。羽を伸ばしたいと思うもんだ。
親の前だけ良い子にしてる、なんて考えるのは早計だよ。
タッキーちゃんは、なんにも心配いらないって。大丈夫!


それに脅かすわけじゃないが、これからもっともっと驚かされることになる。
子供が中学生、高校生となっていくたびに親が予想だにしてなかったことに遭遇する場合もある。
しかし、それは子供が成長していく上で当たり前の過程だし、自立していってる証しでもある。
私たち親は、それにうろたえることなくいつも毅然とした態度で対処していかなくてはならないのだと思う。


ここからはまったくの勝手な自論なのだが、
私は「子育て」とは難しいようで実は意外と簡単なのではないかと思っている。
子供を育てようと思うから難しくなるだけで、子供を育てるのではなく自分自身が輝いた生き方をしていけば、
それがすでに子育ての第一歩になっているのではないかと思うのだ。
自分を磨くことは他の人間(子供)を形成していくことより簡単なはずだ。
子供というものは常に親の生き方を見てるものだ。
その親がいつもイキイキと輝いていれば、
「自分もああいう人生を送りたい」
「ああいう人間になりたい」
「あのような考え方を持ちたい」と自然と感じ取っていくものだ。
それだけでなく親が自分の人生を謳歌していれば心にもゆとりが出来るだろうし、子供の声に耳を傾ける余裕も出来てくる。
些細な子供の変化をも見逃すことはない。
私は子供を育て上げようなどと思ったことはない。
子供なんてもんは勝手に育ってくれるもんだ。
良いか悪いか、自分で判断し決断していくものだ。そして判断に迷った時はなんらかのサインを送ってくる。
服装や言葉の乱れ、友達との交流など。
親が出来る事は、子供が送ってきたサインを見逃さずにキャッチすることだと思う。
そのためには自分の人生がギスギスしていては、心にそんなゆとりは生まれない。
輝いた人生を送っている人は、どんな人に対しても優しくなれるものだし、人の意見を素直に聞けるものだ。
まずは自分がそういう人生を送ることが、子育ての第一歩であり根源であるような気がする。


また、るるの話に戻るが、るるは仕事を始めてとてもイキイキしているように見えるし、輝いている気がする。
今は確かにタッキーちゃんは寂しいかもしれない。
それは間違いないだろうと思う。
また寂しがってくれなきゃ、こっちが寂しいってもんだ。
でもいつか、この寂しさを凌駕するほどの何かを彼らは得るに違いない。
るるが仕事を始めたことによって、家を留守にすることによって、居たときには得られなかった何か、
たとえば兄弟の結束力とか、信頼感とか、自己の決断力とか、なんか分からないけどそういうようなものが、
必ずるるんちの子供たちには身についていくと思う。
そして、いつか輝いている母親を誇りに感じる時が絶対に訪れると信じている。


「子供は親の背中を見て育つ」とは昔の人はうまいことを言ったもんだ。
と、自分の背中を見てみたら、今朝、肩に貼ったシップをつけたまま今日一日を過ごしていた。
ウチの場合はあまり見ない方がいいかもしれない。






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