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2004年09月14日(火) ありがとう

こんにちは、るるです。
父のことでは、ご心配いただきましてありがとうございました。
おかげさまで、無事四十九日の法要ならびに納骨をすませ、少しずつですが落ち着きを取り戻してきています。





ええ、「いれぎゅりゃ!」を読んで笑えるほどになりました。




相当、落ち着いてます。(笑)





今回、私はほんとにお恥ずかしい話ですがこの年になって初めて
「生きること」「死ぬこと」を真剣に考え、向き合ったような気がします。

赤ちゃんで生まれて、歩くことも話すこともできなくて
でも、そこにいるだけで家族を幸せな気持ちにさせてくれて、
そして、少しずつこちらの声かけに反応したり、
笑ったり、寝返りをうったり、おすわりしたり、よちよち歩いたり、おしゃべりしたり、、、
できることが増えていって、その過程で家族にたくさんの幸せを与えてくれて、
3歳までに親孝行を終えるんだって言う人もいるぐらい、
たくさんの感激を与えながら成長して。。

そして自我が芽生え、多くのことを学び成長し独り立ちし
家族をもち、子どもの成長を見届け、
そして、程度や時期に個人差はあるものの、
少しずつ歩けなくなり、座っていられなくなり、
寝返りがうてなくなり、話すことも困難になり、
でも、そこにいるだけで家族を幸せな気持ちにしてくれて、、、、

そう、赤ちゃんのときからと逆のみちのりをひとつひとつ歩いていき
そして最期は静かに眠っていく、、、

父は、最期すこし駆け足だったけれど、
でも、全てのみちのりをまっとうできて幸せだったんだと思います。

どんな最期であっても、その悲しみと辛さから、後悔の念は必ず出てくるものなんだと思います。
私たちも、父を入院させたことがよかったのか、点滴につながれて身動きできなくなって、無理やり生かされてるようなそんな最期で、本当に父にとってそれがよかったことなのか、今でもわかりません。
でも、きっと入院しなかったら、父は8月8日まで生きていられなかったでしょう。
そして、私たちも父のそばに付き添う時間をもてなかったでしょう。

最期の最期に、私たちにできるだけのことをする時間を作ってくれた、
父と向き合う時間を作ってくれた、
家族をまたひとつにしてくれた、
そんな父を心から尊敬します。

とても悲しくて、涙がとまらないときに
ある友人が、きれいな写真と素敵な詩でできた本をプレゼントしてくれました。
この詩を読んで、また涙があふれたけれど、
たくさん涙を流したあと、救われるようなそんな気持ちになりました。

父との別れはたしかに悲しいものだったけれど
たくさんの方の優しさに触れて、
今の私は、本当に幸せです。

ありがとう。











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