![]() DiaryINDEX|past|will
こんにちは、るるです。
父のことでは、ご心配いただきましてありがとうございました。 おかげさまで、無事四十九日の法要ならびに納骨をすませ、少しずつですが落ち着きを取り戻してきています。 ええ、「いれぎゅりゃ!」を読んで笑えるほどになりました。 相当、落ち着いてます。(笑) 今回、私はほんとにお恥ずかしい話ですがこの年になって初めて 「生きること」「死ぬこと」を真剣に考え、向き合ったような気がします。 赤ちゃんで生まれて、歩くことも話すこともできなくて でも、そこにいるだけで家族を幸せな気持ちにさせてくれて、 そして、少しずつこちらの声かけに反応したり、 笑ったり、寝返りをうったり、おすわりしたり、よちよち歩いたり、おしゃべりしたり、、、 できることが増えていって、その過程で家族にたくさんの幸せを与えてくれて、 3歳までに親孝行を終えるんだって言う人もいるぐらい、 たくさんの感激を与えながら成長して。。 そして自我が芽生え、多くのことを学び成長し独り立ちし 家族をもち、子どもの成長を見届け、 そして、程度や時期に個人差はあるものの、 少しずつ歩けなくなり、座っていられなくなり、 寝返りがうてなくなり、話すことも困難になり、 でも、そこにいるだけで家族を幸せな気持ちにしてくれて、、、、 そう、赤ちゃんのときからと逆のみちのりをひとつひとつ歩いていき そして最期は静かに眠っていく、、、 父は、最期すこし駆け足だったけれど、 でも、全てのみちのりをまっとうできて幸せだったんだと思います。 どんな最期であっても、その悲しみと辛さから、後悔の念は必ず出てくるものなんだと思います。 私たちも、父を入院させたことがよかったのか、点滴につながれて身動きできなくなって、無理やり生かされてるようなそんな最期で、本当に父にとってそれがよかったことなのか、今でもわかりません。 でも、きっと入院しなかったら、父は8月8日まで生きていられなかったでしょう。 そして、私たちも父のそばに付き添う時間をもてなかったでしょう。 最期の最期に、私たちにできるだけのことをする時間を作ってくれた、 父と向き合う時間を作ってくれた、 家族をまたひとつにしてくれた、 そんな父を心から尊敬します。 とても悲しくて、涙がとまらないときに ある友人が、きれいな写真と素敵な詩でできた本をプレゼントしてくれました。 この詩を読んで、また涙があふれたけれど、 たくさん涙を流したあと、救われるようなそんな気持ちになりました。 父との別れはたしかに悲しいものだったけれど たくさんの方の優しさに触れて、 今の私は、本当に幸せです。 ありがとう。
|