DiaryINDEXpastwill


2004年11月18日(木) そろそろ

書かないと、書け書けコールが来そうなんで
書きます。はっ!(←まだやってるのかよ)こんばんは。あゆです。

るるんちのおぼっちゃん、無事退院されたそうですよ。
よかったですね。
子供が病気になったら親は心配で心配でパンも食べられません。
おかげさまでウチは子供のバイトのおかげでパンをたらふく食べられますけど。

そんな長女も昔、入院したことがありました。
あれは、長女が幼稚園児の頃でした。
子供は外に遊びに行ってるし、一人部屋でのんびりと昼寝でもしようかと思っていたところ、
インターホンがなりました。
出てみると同じマンションの長女とよく遊んでくれていた小学生のおねえちゃんでした。
「おばちゃん、かおりちゃんがひかれた!!!!」
頭が真っ白になるっていうのを生まれて初めて体験しました。
加藤タキ、または藤本義一ってところでしょうか。
ちょっと違いますか。

つぎの瞬間、足は震えだすし、何をどうしたらいいのかわからなくなりました。所謂パニックってことです。
松下電器ですか。それはパナソニックですね。
あわてて伝えに来てくれたコについていくとマンションの駐車場で
軽トラの横で地面に仰向けに倒れている長女。
泣いていたので、とりあえず命は助かったのだと思い、少しだけ安堵しつつもいそいでウチに帰り救急車を呼びました。
でもよく覚えてないんです。どうやって呼んだのか。
私は泣きながら救急車の到着を待ちました。
軽トラの運転手である酒屋のおにいちゃんは、
すみません、すみませんと何度も言っていました。
私はその言葉にはなんと答えていいのかわからずに
長女のそばで体をさすりながら
「どこが痛い?大丈夫?」とひたすら話しかけていました。
やがて救急車が到着し、長女と一緒に私も乗り込みました。
私の取り乱しように恐れをなしたのか、
しきりに救急隊員の方から
「おかあさん、落ち着いてください。大丈夫ですから」
と言われたのだけは覚えています。

着いた病院は近所でも評判のヤブ医者だったのですが、
とにかくどこかの病院に一刻でも早く連れていきたかったので、
私は黙っていました。ってかずっと泣いていました。
頭がパニくり、泣きじゃくっていたわりには
しっかりとその手に保険証を持っていたのも今ではいい思い出です。

救急病棟で診ていただくと、みたところ擦り傷程度でたいしたことはない
との事でした。
でもなにしろヤブ医者の言うことです。信用できません。
私はとにかくダンナに報告して、真っ当な対処の仕方を聞かなければと思い、当時まだサラリーマンとしてまじめに働いていたダンナに電話をしました。
後でダンナに話を聞いたところ、その電話の内容はさっぱり要領を得なかったということでした。
「あのね、かおりがね、お腹が、痛いって、洋服がやぶけてるの、車にひかれて、びえええええっ」
多分こんな感じだったと思います。

結局長女は
幸い本当にかすり傷程度だったのですが、万が一のことを考えて、5日ほどそのままそのヤブ病院に入院することになりました。

落ち着いて長女に事故の時の状況を聞くと
酒屋のおにいちゃんにみんなと一緒にしばらく遊んでもらっていて
おにいちゃんが、「じゃあ、もうそろそろ帰るね」と言って
車に乗り込み、方向転換しようと車をバックさせたところへ
長女が、「おにいちゃあああん」と言いながら走り寄ったということでした。オマエはなにわ突撃隊かっ!
たまたま長女が転んで、両車輪の間に体がハマッたのが幸いしたものの、タイヤが体の上を通っていたら...........................。


そんな長女も今では立派なオタクになりました。
来年はコンピューター関係の専門学校生です。多分。

毎日お見舞いに来てくれたおにいちゃん......。
お元気でしょうか。
あやまらなければならないのはこっちの方でした。
車の運転をするのがトラウマになっていなければいいのですが。




rya |こっそり掲示板
My追加