ろさんじぇるす日記 takie 【MAIL】
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- 2002年10月01日(火) 感謝 =thanks=
10年前に、カナダのバンクーバーに渡った。
それから、なんだ、かんだで、アメリカに10年いる。
カナダのバンクーバーに渡った時は、仕事を探すのに、
毎日、毎日まさしく、足が棒になるまで歩き回った。
だけど、仕事は、なかった。英語も満足に話せなかったから。
しかし、一ヶ月を過ぎようとしたとき、あるホテルから連絡があった。
知らなかったけど、そのホテルは、五つ星のホテルだった。
やれば、結果がでるということがわかった。
そのホテルの仕事をする前に、ある食堂で仕事をした。
皿洗いだった。
それを止めて、ホテルに移った。
こちらでは、仕事を二つ持っていても問題ないみたいなんだな。
それを知らなかった。
で、今、LAにいるけど、考えたら、日本にいたら出来ないことや、
考えつかないことを考えている。
英語で授業を受ける。
差別を受ける。
シンガポールの中国人と香港の中国人を友達に持つ。
アメリカの自然を楽しむ。
四大まで行って、なんとか学歴をつけようと思った。
それしか、考えられなかった。
仕事を探す時に、たかが履歴書一枚で判断されて、仕事が無かったから。
だけど、自分のやってきたことを振り返れば、誰に文句を言われることは、
ないと思う。
金が無かった。
今でもない。
だけど、親に仕送りさせずに、よめさんが短大を卒業した。
車を直す金が無くて、車を使えない時期があったけど、
ナントカやってきた。
このLAで車がないと本当に買い物、食料品も買いにいけない。
ほかにも、いろんなことがあったけど、一人からはじめた生活が、5年間。
よめさんとの生活が5年間。
よめさんは、よく頑張ってくれたと思う。
我慢してくれたと思う。
胸を張って、日本に帰ろう。