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一夜。 | 2006年06月22日(木) |
満月はゆるゆると天を滑っていく。 穏やかに眠る娘の傍に腰掛けて、彼はじっとその姿を見下ろした。 目を凝らすと、胸のあたりが僅かに上下しているのが見て取れた。 彼女はとても静かに眠る。そのまま息が止まっていたとしてもきっと気付かない。 布団から投げ出されたままの細い腕を取る。 ひんやりと滑らかな肌は月明かりの下では一層青白く目に映る。 手の甲をさすり、手首へと指を滑らせる。 確かな脈に安堵して、その指に音もなく口付ける。 喪われることなど考えたこともない。 儚いようにみえるこの娘の気丈さも弱さも全て知っている。 (けれど、もし) 不実な世界は一見従順なようで、けれど隙を見せればすぐに裏切る。 (彼女が、) 考えることを拒否した思考は空白を生み、制御を離れた手が伸ばされた。 片手でも絞められそうな細い首に、見慣れた自分の腕がかかる。 (誰かに奪われるならいっそ) そう、思わなかったといえば嘘になる。 長い刹那を重ねて不安に怯えるくらいなら、短い永遠を抱えて独りでいた方が楽だと否定することは彼には難しかった。 道に迷ったような気分のまま、上から体重をかけて、腕に力を込める。 頬を紅潮させ、息苦しさに顔をしかめた彼女が彼の腕に触れた。 熱いものに触れたときのようにぱっと手を離すと、けほごほと苦しそうな咳が後を追った。 涙で潤んだ目がぼんやりと彼を見上げる。 何かを言おうとした彼女が、またひとつ咳をした。 「……すまない」 汲めど尽きず湧き上がる後悔に掠れた声と共に、謝意を込めて両の瞼に唇を落とす。 目覚めきらないでいる彼女は不思議そうにしていたが、手を繋ぐと安心したように目を閉じて再びすうと寝入る。 それを確認して、彼は空いた片手に視線を落とした。 この手。――この愚かな腕は一体何をしようとしていた? 背筋が凍る。先ほどのことなどなかったかのように、彼女は眠っている。 けれどその頬はまだ僅かに紅潮し、首には手のかたちがくっきりと残っている。 「……すまない」 臆病さのために犠牲にしようとしたものの大きさに慄き、彼は乞うようにその首に手を這わせた。 大分風が冷たくなってきたからだろうか、彼女はその腕に頬を寄せて小さく息をこぼす。 「……本当に、愚かなものだ」 一時の安堵のために喪うことはできない。 誰にも手の届かないところに追いやるということはつまり、自分の腕からも離してしまうことだ。 籠に鍵をかけることすら出来ないのに。 まして手折ることなど、出来るはずもない。 自分に出来ることはといえば、開け放したままの庭に立ち尽くし、どうか何処にも行かないでくれと懇願するばかり。 今はまだ此処にいてくれることの幸福をかみ締めながら、彼は再度溜息をついた。 ****** 何ていうかダメ男極まりないですねこいつ。 首を絞めるという行為は何かえろいよなぁと思って書いてみましたが、私が書くと単なる気弱な電波受信者になりましたorz |