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変態ストーカー#10 / 03 貴方は光、私は影 | 2006年06月19日(月) |
委員会があるというヌイの帰りを昇降口で待ちながら、ひなりはつまらなさそうに本を閉じた。 失敗だった。暇ならコレでも読んでなさい、と彼女に押し付けられたのは良いが、こてこてどろどろの現代恋愛小説はやはり性に合わない。嫌いというわけではないけれど、この生々しい文章はひなりにはどうしても馴染まなかった。 閉じた文庫を、預かっているヌイの鞄の中に放り込むと、ひなりは入り口の柱に寄りかかり、何とはなしに外に目をやる。 校庭ではぽつぽつと傘の花が開いていた。何人かは傘を持たずに走っている。 空を見上げる。明るい曇り空に目を眇めると、雨の雫が線を描いてぱらぱらと散っていた。天気予報の確率は四十パーセント、傘を持ってきて正解だった。 「……問題は、本降りになる前に帰れるかどうかよね」 念のためにと傘は持ってきたものの、足元までは考慮していなかった。愛用の革靴へのダメージは無視できない。 滲み出す憂鬱に軽い溜息をついていると、すぐ近くで誰かが立ち止まった。 均整の取れた長身に、そこだけいつも光が差しているような金色の髪。よく見慣れたその姿は、ここ数週間彼女の趣味の標的になっている相手だった。 下駄箱から自分の下履きを取り出して履き替える彼の姿を、ひなりはそっと見つめる。 こんなに近くで彼を見るのは初めてのことだった。近くで見ると顔の彫りが若干深めであることがよく読み取れた。 とん、とんとおっとり靴を履き替えた彼は、ひなりの前を通り過ぎて校庭に出ようとし、ふと止まる。 「……雨?」 訝しげな声は、予想していたより若干低い。彼はそのまま不思議そうに顔を突き出して、空を見上げる。 そうして小さく呻くその手に傘はなかった。 雨の具合と自宅までの時間を計っているのだろう、渋い顔で考え込んでいる。 それを見ていたひなりは、自分の青い無地の折り畳み傘を取り出すと、彼の隣に足を進めた。 「良ければ、使いますか?」 彼が驚いたように振り返る。正直ひなり自身も驚いていた。 彼女は、それほど人見知りをするわけではないが、自分から進んで他人に声をかけるような人間ではない。前を歩くひとが落としたプリントは拾うが、教科書を忘れた隣の席のクラスメイトには請われなければ見せない。その程度である。 軽く首を傾げた彼が「大丈夫?」と呟く。 主語も目的語もない言葉に、彼女の方が首を捻った。 「何がですか?」 「濡れない?」 どうやらひなりのことを心配しているらしい。彼女は緩くかぶりを振った。 「友達の傘に入れてもらうので。家も近いので平気ですよ」 「でも、借りるのは悪いから良いよ。小雨だし、バスもあるし。ありがとう、雛菱さん」 じゃあね、と彼は淡く笑って手を振る。つられてひなりも手を振った。嬉しそうな笑顔が深くなる。 何も言わないのも気まずい気がして、彼女は軽くおじぎをした。 「ええと、じゃあ。風邪を引かないように気をつけて」 「大丈夫」 彼はもう一度、子供をあやすときのように軽く手を振って走り出す。 よく目立つ、嫌味のない華やかな金髪が魚の尾のように跡を引いていくような錯覚を覚えながら、ひなりはその姿をじっと見送った。 あの髪は確かに彼にとてもよく似合っている。 容姿のせいで目立つことはあっても、それで嫌われることはないひとのように感じた。 「……。何でだろう、何だか知らないけど身につまされる気分だわ」 三つ編みにした自分の髪をいじり回しながら、彼女は眉根を寄せた。 黒い髪にコンプレックスはないし自分のことはそれなりに気に入っているが、彼のような「きらきら」とは程遠い人間であることは自覚している。 そんな自分が、それこそ影のようにひっそりこっそり彼を観察している図を客観的な視点で想像し、ひなりは唸った。どう見ても善良な男子高校生をつけ回すストーカーである。 「ううんどうしよう、何か今更申し訳なくなってきたような、微妙な気分……」 ヌイの気分がようやく分かりかけた気がする。しかし趣味というよりは最早性癖に近い自分の観察癖をやめられるとは思えない。 「……うん。ああいう良いひと見てるのは楽しいけど、早く次のひと見つけよう」 数分悩んだ後、あっけらかんとした結論を出し終えて罪悪感から開放されたひなりは満足げに笑う。 「……あれ?」 そうしてふと、彼の言葉に引っかかるものを感じたことを思い出し、彼女は先ほどの会話を反芻した。 ――ありがとう、雛菱さん。 気のせいだろうか、名前を呼ばれたような気がする。 「……ううん?」 制服を見下ろす。靴は既に下履きの革靴だし、彼女の名前を読み取れるようなものは何処にもない。 「ま、気のせいか」 「何が気のせい?」 突然聞こえた声にも動じず、ひなりはおっとりと振り返った。湿気の多い日でも完璧な巻き髪の友人が少しだけ不機嫌そうに仁王立ちで佇んでいる。 「ヌイ、遅かったね」 「まったくよ。待たせてごめんね、もっと早く帰れるはずだったんだけど。どうして日本人って自分からばんばん意見言い出さないのかしらね。黙ってるのは空気読んでるんじゃなくて逃げてるだけだと思わない?」 どちらかというと黙っている人間であるひなりは苦笑しつつ、委員会に対するヌイの不満を聞き流す。 靴を履き替える彼女を待って校庭に出ると、雨粒は随分大粒のものになっていた。 傘を開く。 彼は濡れずに帰れただろうか。 明日、いつも通りの元気な後姿が見られると良いのだけれど。 雨に打たれてばたばたばた、と大きな音を立てる傘をくるくる回しながらひなりは呟く。 「……やっぱりムリにでも押し付けといた方が良かったかなぁ」 暗い感じのするこの黒い髪はどうでも良いけれど、あの光の塊みたいな金髪が濡れるのは何だかとても勿体ない気分がした。 ****** ようやく会話交わしました。 最初は窓から校庭突っ切る金髪氏を見つめるだけだったのですがそれじゃ何も進展しないということに気付き急遽場所を移動。 ボツにした部分も実はちょっと好きなシーンだったのですが、どこかで再利用できるといいなぁ。 変態ストーカー#10 / 03 貴方は光、私は影 配布元 : アンゼリカ |