だから猫が飼いたいのに・・

2004年03月20日(土) 続き

昨日の続きで、本の感想とはちょっとズレるけど、忘れてはならない事。

1)この本の内容が信用できるなら・・と書いた事。
2)インターネットの普及した世界では、対岸の火事ではないこと。

1)について、これはいしかわさんが、この私の文を読んだら気分を悪くされる書き方だと思う。
いしかわさんは「嘘をつく人が大嫌いで、人が嘘をついているところも見たくない。」という事を繰り返し書いているし
「自分が正しいと思ったら、絶対に後には引かない」という性格でらっしゃるそうだから、私はそう思います。

このご自身の性格についてはテレビでの発言とか、この本を読む事でで本当にそうなんだろうなと信じられるそうです。。
実際、私もそういう性格に近いから、大いに著者の気持ちになって読んだところです。
そしてこの本の信憑性を調べ様と思えば調べられる証拠とかがたくさんあるだろう事も後押しできるかもしれない。
とはいえ、そんな時間もないし、必要もないから調べませんが。

そしてこの事件にまつわる事柄や人物がまったくの密室ではなく、何人もの第三者の証人が実在しているということも
信じられるかもしれない、と後押ししてくれます。

・・・なんで私はここまで、疑うような書き方をしているのでしょうか?
それは、やはり自分では確かめようがない事だからです。
前日の勉強したこと�い鉢イ亡悗錣襪海箸任垢韻鼻⊃佑竜�憶とか認識力とかって本当に信用ならない。
逆説的ですが、この「鉄槌」に書かれている双葉社の弁護士の事を読むととくにホラーのように恐ろしく感じる。
人同士が分かり合えることなんて奇跡的なのね。と厭世的になる。

この裁判は私にはまったく関係のないことで、なんの苦痛も損害も与えられないから
読み物として「面白かった」と感想かいて終わることも可能なのですけど。

例えば、2)に関係することなのですけど、私は少し前に自分のホームページで、過去に起きた友人にまつわる
不思議な出来事を書きました。もちろん実名ではなく、仮名ですけど。
でも私と以前から付き合いがある人には誰のことだかわかるとは思います。
例えば、その中の1つで「60ページの手紙をくれらAさん」に纏わる話があるのですけど
もしAさんが私に「事実無根である。」と訴えたらどうしようかと想像してみたのです。

もちろん私は嘘はついていません。家族や知人も事実だと証言してくれるでしょう。でも、証拠はありません。
そしてそれよりも、その私の文章を読んだ人は、「作り話」と思う人もいるかもしれませんが
「事実」として書いているのだから、ほとんどの人が「本当」と思ってくれる事でしょう。
そして私が証拠を提出できないのと同じ位に、読んだ人がこの件を本当かどうか確認する術もなく
また、確認しようとも思わないのです。

この場合、一般人でしかない、しかも仮名で書いた友人の昔話ですから
誰かに特に損害があるとは思えないないようですから、裁判とか大げさなことにならないでしょうが、
これが、実名で、しかも損害が発生する場合には、裁判に発展することもあるのだろうな。と思って
怖いなあ、と思ったりしたのでした。

それと同時に、有名な作家さん、タレントたちが宇宙の広がりのように出しつづけているエッセイなどには
実名とか家族の名前が出てきて、おもしろおかしく日常が書かれていたりします。あるいは骨肉の争いとかも。
でも、それはあくまで書いもん勝ちなのですよね。
作家だったり、有名だったら、発表して、広く世間に知らしめるけれど、そんな才能もコネもない書かれた側が泣き寝入りです。

まれに作家同士だったり、一般人でも本を出して応戦する人もいますが・・
実際に、「鉄槌」の解説かいている作家さんは、まるで知らない人なのに、元家族だった人たちが
作家だったので、両者の意見を雑誌で見る機会があってたまげたもんだ。ええたまげました。

こう書くと、またいしかわさんの本に書かれている内容を疑っているように取られるかもしれないけど
それは違います。いしかわさんの事件は密室で起きたものではないからです。
置き去りは実際に起きたのだろうし、裁判もあったのだろうから。
ただその裁判の過程で、関わった多くの人の人間模様が、それはもう一筋縄でいかなくて
人間て恐ろしい!と思わしめるものだったのです。裁判も、関わる人もの藪の中・・なのです。

そして、汲めども尽きぬ泉のごとく後から後から沸いて出る、自分の周辺の人をおもしろおかしく書いている
エッセイを完璧なノンフィクションと思ってはいけないと思ったりもする。
起きた事は事実でも、感じたことが書かれているのは、あくまでその人個人の感じたままでしかないので真実とは言えぬからだ。
そして、私もネット上で思ったままを書き連ねているので、
書いて世間に公表することの威力への畏怖を改めて肝に銘じなくては。と思ったのです。


蛇足:
それぞれの証言が異なっているということ、それは誰かが嘘をついている。ということならわかりやすいけど
誰も嘘をついていない場合もありえる。
この年まで生きていると、自分の信じたいままに、事実を捻じ曲げて認識をする人が少なからずいるとわかったからだ。
この日記でも何度もそれに触れたかもしれないけど、人は見たい夢を見る。
そうでないと生きていけない弱い心の持ち主がいるのだ。
その人はそう信じる、解釈しているわけだから、嘘だなんて思わない。
真実だと思うのだから、どうどうとそれを人前で話すのだ。怖い。怖すぎる。
そんな深刻にならなくても、記憶力の悪い人はすぐに忘れて捏造することもあるしね。

とにかくこの世で一番信用できないのは人間て事でしょうか。
わお、なんてさびしい事書いているんでしょうか。
でも、信用する言葉がまた広く浅いんで、気にしなくてもいいのです。
自分が信じる道を行けば、他人の話の事実なんてどうでもいいのだから。


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