2007年03月13日(火) |
断言できる人って・・・ |
私の家族からして、かなり「言い切る」人が多かった。 たとえ間違っていても、自信たっぷりに断言する。 母などは、きっと子育てする場合に、そういう断言が必要だったんかな〜と斟酌しないではないけど 見てきたように、自信たっぷりに間違いを言うのだから、驚きである。
それは、決断を迫られたときの判断ではなく、不確かな未来についてでもなく 一手間をかけて、調べたらわかる事柄であるのですが・・
そんな家族に囲まれて育ったせいか、私は随分と断言することが怖くなってしまった。 「かもしれない〜」「多分、だと思うよ」「私はそう思う」などと逃げ腰である。
前もこんなネタかいたと思うのですが、自信がないから、知らなくても平気〜と慮ってかえって恥をかかせたこともあるしw
今日も職場で、思いっきり、思い込みで押す人がいました。 その件は私も自信がなかったので、早速、調べてみたけど、やはり私の記憶のが正しかった。 それでも、弱腰で「多分〜ですけど」と自信のない私。 基本的に、人間て否定されるのってショックですものね。穏便に行きたいものです。
私の職場は、結構な頻度で思い込みでぐいぐい来る人がいる。 そのたびに、思いっきり疲れる。
それは、小さな頃から、周囲の思い込みに振り回されたからだと思う。 小さな火種が心の中でくすぶってるから、時々それに点火して燃える! そう、決して思い込みで言い切る人は、それほど悪くない・・はず。 ただ単に、私の心が狭いのと、小さい頃からの繰り返しで、私の我慢が擦り切れているのだ。
というか、執念深い私の記憶力がいけないのよね。 頭悪いくせに、どうしてかそういう記憶だけは消えない。
それにしても、ちょっと確認したらわかることなのに 堂々と間違って、言い切って、他人に迷惑かけるほど押す人って面の皮が厚いのでしょうか? 私は恥ずかしいので、「多分〜」「かもしれない〜」とつけてしまいます。 恥の文化を思い出せ!
※あくまで本の名前とか人の名前とか簡単なことです。 「多分、○○だと思うんだけど」といえば、穏便なのに 「○○を出せ!」と強引なのがおかしいとつい思ってしまうのです。
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