樹里ちゃん日記
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2003年02月15日(土) |
花組「エリザベート」(4) |
ご批判は覚悟です・・・・
樹里・フランツ・・・ 今まで掲示板で語ってきた樹里フランツについてはあくまで「樹里ちゃんファンGenmom」としてだ。 だから、樹里フランツについて書き込みは、他ファンから見れば「甘すぎる」と言われ当然だと思う。 樹里ちゃんファンの中でも正直に樹里フランツについての不安や課題を書いて下さった方もいたが 私はあえて書かなかったし書くつもりもなかった。 それは、樹里ちゃん自身がわかっていることだと思ったからだ。 公演が始まる前や始まってからのインタビューでも、彼女は歌の難しさや、低音が出ないきつさを正直に話していた。 もう樹里ちゃんファンを自称する方々なら、口に出さずとも全員がそのことを心配していたし、 「だいじょうぶ!」と言い切りつつも、心の奥底にずしっとその重さを抱えていたにちがいない。
正直に書きたいと思う。許して欲しい。 初日・・・ まだだ・・・と思った。 まだ、樹里フランツは出来上がっていない・・・ 「いつでも、初日は出来が悪くて心配させるが、二回目になったら別人だから!」と聞いているのでその言葉にかけた。 二日目・・・ 確かに別人だった!声も伸びていた。お芝居も伸び伸びと大きくなった。 でもそれは、花組すべての出演者にあてはまることで、樹里フランツだけのことではなかった。 春野トート、大鳥シシィは最初から、完成の域に達していたと思う程だったから余計に気にかかった。 後は、樹里フランツと瀬奈ルキーニがどこまで持って行けるかにかかっていると思った。
そして確かにその時はやって来たのだ! 樹里フランツが変わった! 明らかに変わった日がどの日だとは毎日見ていたわけではないので断言出来ないが、その頃を境に大きく変わったのだ! 10日から2週間目の公演、樹里日記をもう一度読み返すと確かにあつく書き込んであるあの頃だと思う。 ルドルフとの場面の変化には、かなりのショックを受けた。 そして、1部最後の鏡の間のソロ! 歌よりもなによりも、樹里フランツの存在がしゃべらなくても立ってるだけでも皇帝の葛藤や苦悩を漂わせ始めたのだ。 これは、「Cafe Break」で樹里ちゃん自身が語っていたことに通じる。
樹里ちゃんはグラフのインタビューで、月組時代に真ん中のトップを立てる為の芝居を叩き込まれたと話していた。 私の友人はこれを読んで涙が出たと言った。 「なんで?」と聞く私に「それは脇役の立場を叩き込まれたと言っているのと同じだ」と教えてくれた。 もちろんそれは、かなり下級生の話であることはまちがいないけれど・・ そういうことなのか・・・ 私が樹里ファンを公言するようになったのは、「FREEDOM」からなので、 もうスターとしての樹里ちゃんのファンになった訳で・・・ まあ、そのあとに「源ちゃん」の扱いに「?」が飛び交ったのは確かだけど。
前置きが長くなったが、 それまでは樹里フランツは他の出演者のみどりシシィや春野トートがいると、脇へ脇へ回ろうとするというか、一歩引いている印象があった。 それがその「叩き込まれた脇役」のせいだったのかどうかは知る由もない。
ただ、樹里フランツが変わった!それは真ん中にいる樹里フランツの違和感がなくなり、堂々とその空間を樹里フランツ色にしていた。 そのことで、皇帝の誇りと貫禄も感じられ、父としての憤りも強く漂わせて、 そしてさらに、シシィへの愛と皇帝の立場との葛藤が際立っていた。 さらにそのことが、最終答弁でのトートとの対決を鮮やかなものとしていた。 それにあわせて、歌も磨きがかかっていったと思う。 DVDでの樹里フランツの歌にはまったく文句はない。聴かせてくれる!いい!
そして時を同じくして瀬奈ルキーニも変わった。 とにかく瀬奈ルキーニもある日まったく違う役者のように舞台に息ずいていた。 感動だった! 樹里フランツも瀬奈ルキーニも自分自身との戦いに勝ったのだ。 そう思いたい! 今までのフランツやルキーニと比べてまだだと思われる方も少なからずいらっしゃるだろう。 まだまだ進歩の余地もあるだろう。 でもこの進化はきちんと認めたいと思うし、評価に値するものだと思ってもよいのではないだろうか。
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