ゼロの視点
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2003年01月18日(土) ひきこもり終了

 金曜日の晩から仕事をしていて、気がついたら土曜日の朝8時半だった。書いたものを印刷して、ホッチキスにとめたところで、夫が起きてきた。最近、ゆっくりと彼とも話をしてないので、お喋りしてたら、すでに時計は10時になっていた。

 なので、私は午後5時まで就寝。完全に昼夜が逆転した私のひきこもり生活。しかしそれも終わりに近い。なぜならあと数時間で、外出するからだ。この一週間、寒かったのか、それとも寒さが緩んだのかも知らない。

 さて、どうして私はこんな地獄のような仕事をチョイスしたのか?。それには理由がある。ここ2,3年会ってないが、50代のHという翻訳家がいる。彼は、中国語、英語、ドイツ語、スペイン語の書籍を母国語のフランス語に翻訳するのが本業。時には、フランス語から中国語に翻訳するときもある。

 そんな彼は、ある日イタリア語の仕事を頼まれたそうだ。しかし彼は全然イタリア語はわからない。もちろん、日本人がイタリア語を習うより、フランス人がイタリア語をやったほうが、似ている単語などもありやりやすいということはあるが、だ。

 まったくやったことないイタリア語の仕事を、Hはサクッと引き受けた。そして翻訳する予定のイタリア語の本を教科書にして、仕事しながらイタリア語を習得してしまったのだ。そんな彼は、今、読み書きだけじゃなく、イタリア語をペラペラ喋っている。

 私は、いたくこの話にビックリしたと同時に感動していた。そして、ある日突然、現在の仕事のオファーがあったとき、自分の器も考えず、まるで私もHのようにできるような錯覚に陥って、面接、そして企画書を書いた。

 それは、ちょうど在仏生活がまる4年になろうとしている頃だった。喋ることに関しては、日常生活で問題がない。しかしこのレベルで留まると、フランス語の読み書きがきちんとできなくなってしまいそうな、妙な不安に始終とらわれていた。それプラス、喋りのほうも、まあまあフランス語を話す、あくまで“外国人”というレベルに留まってしまいそうな不安・・・。

 メールというのは、色々な人と読み書きを通して交流するものだが、これを通して、かなりのフランス人が、いくら達者に喋っても、書くとなるとたくさんの間違いがあるのを発見。また、喋り言葉以上に、書き方ひとつで各人の教育の過程が透けて見えてしまう恐ろしさも再認識。

 フランス人でも、満足にフランス語が書けないというのは、外国人の私にはとっても嬉しいニュースだが、逆にきちんとしたフランス語を書く能力を得るということが、果てしもなく遠い夢のような感じがしてきて、滅入っていた。

 さて、こんなわけで、変な気負いで仕事をゲットしてしまったわけで、現在の状況がある。仕事を通して無理やりにでも勉強してしまう、という無謀な作戦!!。しかし、本当に無謀だと、ひしひしと思わざるをえない。

 1週間のひきこもり生活で、現在まで22頁分の原稿を書いた。生まれて始めて、こんなにフランス語でモノを書いた(笑)!!。

 夫が校正、プラス、最低限商品として成り立つフランス語にしていくのだが、この過程で喧嘩になることがある。昨日の晩もそうだった。

 時に私の書き方が悪くて、夫が、私の言いたいことを全然違って理解していることがある。また時に、私の書き方が文法的に間違っていても、ちゃんとしていて、夫がただ単に読むことに集中してなくて、よく理解していないこともある。そんなわけで、これらが引き金となって、喧嘩が勃発するのだ。道は険しい・・・・・。

 ところで例のツワモノHだが、最近とんと会う機会がない。伝え聞くところによると、妻が子供を連れて出て行ってしまったらしい。外国語を自在に操る彼も、妻子だけは操れなかったということか・・・・・?。

 


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