ゼロの視点
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生まれてこのかた、1度も初々しいと言われていないことに、突然気がついた。手持ちの講談社の国語辞典からあらためてこの言葉の定義を引用してみると、“きよらかで、すれていない”とある・・・・。
パリ住み始めて4年と7ヶ月。しかし、色々な人から“ゼロさんって、もう何十年もパリに住んでいるんでしょ?”とか、“悩みなんてないんでしょ?”“弱気になることってあるの?”等と言われる事、数え切れず。
どうしてなんだろ?!?!?!?。なんだかちょっと寂しい気がしてならない・・・・。
で、さっき夫に、私に初々しさがあるかどうか聞いてみた。すると質問している最中に、すでにヤロウは耐えられなくなったのか、飲み物を噴き出してまで爆笑した。ショックぅーーーーーーーーっ。熱があるんじゃないかとまで、逆に質問された・・・。
確かに、変な意味で負けず嫌いな性格でもあるが、わしだって人並みに悩んだり、苦しんだり、センチメンタルになることだってあるのだ。でも、どうもそれを他者はまったく気づいていない、ということが私にとってどうも面白くないっ!!。
非日本人の友人らにも、いつも“あんたは、自分のやりたいことをやりたいように進めて行くだけの、恐ろしく強い人間だ”等と常々いわれて久しい。本当にそうなんだろうか?!?!?!。私って強いの、もしかして?!?!。そんなカテゴリーに入りたくなくても、入れられてしまうのだろうか?。わからん。
シナリオのない、アドリブの世界に強いことは確かだ。でも、それがアダとなって、かなり日本社会では苦労してきたつもり。例えば面接などでは、小論文テストなどがないかぎり、常に“生意気”というレッテルを貼られ、落ち込んできた私。ところが、意図せずにも国を変えて、こちらに住んでみると、本当に自分の意を反して、面接ウケが妙にいい・・・・。私のほうがビックリしてしまう始末だ。別に国別の面接対策など、練っていないからなお更のこと。
いつも、同じように発言して、振舞っているのに、180度違う評価というのは、今でも戸惑うこと多し・・・。
以前にも書いたが、仏文科などに所属していても、決して留学すらしたいと思わなかった私。苦労して金ためて留学・・・、ま、それじゃなくても、とにかくあらゆる苦労なんてしたくないからねぇ・・・。人生できるだけ楽しみたい!!。おまけに、日本語以外の言語習得に四苦八苦なんぞ、本当にしたくなかった。そして、できることなら、日本に住んでいたかった・・・・。
日本に住みつつ、日本の悪口を言いながら・・・、なんてマジで面白そうだと思ってた。例えば、映画ひとつ見ても、“フランス映画は面白いのに、日本映画界はなっとらん!!”とか、妙な意味での西洋贔屓などを、一生味わっていられれば、楽しいと思うことしきり。
例えば、ジェーン・バーキン。フランスに住んでから、本当に大嫌いになってしまった(笑)。もう異様に鼻につく。今でも日本の雑誌ではバーキンのヨイショ記事等がたくさん見受けられるが、テレビに彼女が出てくると、すぐザッピング。ゲンズブールととうの昔に離婚したくせに、いつも彼の看板で、彼をとの日々を語り、わざとらしい英語なまりのフランス語を披露する彼女。ああ、吐き気がするっ!!。そこに見えるのはビジネスだけ。ドワイヨンがどう思うと、金稼げればいいんだろうなぁ・・・・、きっと。日本の芸能界でいえば、亡き夫の偉業だけを語りつづける未亡人のような存在にしか、私には見えない。ね、いっぱいいるでしょ、こういう人たち、日本にもっ?!?!?!。
ま、そういうわけで、いつものとおり、言いたいことを非日本人に語っていると、ウケる、ウケる・・・(汗)。で、ますます、へんにおだてられて、以居心地があんまり良くない。
それから日本に在住していた時(特に高校から大学時代)に、読みまくったマルキ・ド・サドや、ジョルジュ・バタイユ、それにセリーヌ等。これらもこっちに住んでから、だいぶ解釈に変化が現れた。ま、いまだに 新しい解釈をして好きだけれど・・・。これらも、今思うと、日本人からした妙なフランス、および西洋への憧れが、解釈に異様に含まれているとしか思えなくなってしまった。これらは私にとって、アル意味では面白いし、またアル意味では悲しい発見でもある。
学生時代には、まともな映画館では決して一生観ることのできないかもしれない映画(特にフランス映画関連)を観るために、自主上映会に足を運び、時にはそれでも日本では鑑賞不可能な映画を自分が観たいがために、自ら時々、企画を主催して、上映会を主催などしていた私。ところが、国を変えて、現在では日本映画の自主上映会に足を運んでいる始末(苦笑)。ここに、恐らく永遠に続く、私の世の中とのズレが改めて確認できることの、強烈なカタルシス。ああ・・・・っ!!。
また、ズレといえば、最近個人的に笑えることがあった。極左の知人と会話していた時のことだった。あまりにも彼らの主義が非現実に感じた私は、それを暗黙的にムショウに皮肉りたくなり、ふとシャルル・フーリエのユートピア論を引用して彼らを揶揄してみた。すると、私が想像した以上に、彼らは反論できなくなっている・・・・。か、か、か、悲しい・・・・・。
私としたら、そこまで議論をふっかけてくるなら、もうちょっと“とことんまで”やってほしいのだ。ましてや、賛否の問題ではなく、基本的なシャルル・フーリエの名前も知らずに、極左論なぞ語って欲しくないとさえ思う。
ということで、フランス人は知的とか、議論好きなど、理論的など、変な意味で日本では語られていることが多々あるが、みなさん、安心してください、フランス人はバカなことも多々あります(笑)。ただ単に言いたいことを検証なく語っているだけのことがありますよーーーっ!!。
ということで、夫曰く、私がこういったことで議論をふっかけること自体、初々しいという印象を与えることは難しいという結論にいたって、今、ちょっと落ち込んでいるところです・・・・・。なんかムショウに寂しいっス・・・・。
少なくとも、武豊と結婚した、佐野量子の顔が欲しかった・・・。だってオンナノコらしくて、可愛いと思いませんか?。それだけでも、他者に与える印象が違ってくると思われてしょうがない、ゼロでした。
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