ゼロの視点
DiaryINDEXpastwill


2003年03月02日(日) 偶然という名の必然

 金曜日、夫は重要な書類を作成して、それを添え付けてメールで送ろうとしたら、突然PCがフリーズしたと同時に、書類も消えてしまったとのこと。そこで怒り狂ってわめいていただろう夫の姿が目に浮かぶ。そして、それでもあきらめず、もう一度きちんと書類を作成して、送ろうとしたら同じアクシデントに見舞われて、また彼の労作が吹っ飛んでしまったとのこと。

 翌日、夫は「結局、今考えてみると、あの書類はあの時点で送らなかったほうがよかったのかもしれない」ということだった。

 さて、土曜日の朝、ネットで調べ物をしようとPCを立ち上げたら、またモデムが作動していないことに気がついた。今度は私が怒り狂ってわめく番。プロバイダーの会社に怒りの電話を入れても、結局ラチがあかず、というか、ま、いつものことで暖簾に腕押し。もうこれ以上怒ってもエネルギーの無駄なので、気分転換に夫と外出した。

 リュクサンブール公園の隣に住むJYの家を訪れた。JYは前から“ボクのアパルトマンを見に来い!!”と誘ってくれていたが、毎回、夫だけを派遣していたので、今回は私も一緒なことを知ると、本当に喜んでいた様子だった。そんな彼にPCで調べ物ができないから、暇つぶしに遊びに来ただけとは、さすがに言えなかったが・・・・(笑)。

 彼の家でさんざんアペリティフをすすめられ、ポルトーでだいぶ出来上がってきたところで、雨の中レストランに繰り出す。そこで議論が3人の間で異様に盛り上がったので、その勢いでカルチェラタンの本屋巡りが始まった。実はさっき話した説は、この本からだ!!とか、いや、実はこの本のほうがいい説を説いている!!だとか、そんなことがしたいがための本屋巡り。

 そしてとある古本屋に立ち寄った。世界中の国に関しての古本がある書店で、仕事のことも兼ねて、私は日本関係をとりあえず閲覧。店主に色々と質問しているうちに、店主と打ち解けてきたところを見計らって、自分の仕事のことを語ってみたら、なんと私が一番コンタクトを取りたかった人と店主が友人だったことが発覚!!!。先週、この“私の会いたい人”は店に来ていたらしい。さっそくお願いして、彼の連絡先数箇所を全部教えてもらった。

 もう、この時点でかなり興奮している私(笑)。夫と友人のJYもそれぞれ欲しい本を見つけて、また違った意味で興奮していた。その勢いで、ラム専門店に行き、カクテルを楽しみ、気がつくと日が暮れる前にずいぶんと飲んだり、興奮している。

 さて、それでもひとつやり残したことがあったので、カルチェラタンでJYと別れて、わしらはとある店へ。ここに入った瞬間、また妙にピンと来た。もしかして今振り向いたら、誰かコンタクト取るべき人がいそうな予感とでもいったらわかるだろうか?!?!?!。

 そして、振り向くと著作とか、パンフレットで何回が見た顔が本当いにそこにあった。二次元媒体でしか知らなかった人の顔が、現実に私の目の前にあり、本当にその人かどうなのか知るために、夫に“変な外人”を装ってもらってその人に話し掛けてもらった。

 答えはまさしくビンゴ!!。正真正銘の私がコンタクトを取るべき人だった。写真の印象では怖そうだったが、とても親切で礼儀正しい人で、インタビューの話も快く受けてくれ、さっそくスケジュール調整までしてくれた!!!!。ああ、感動。

 さて、本日の日曜日、夕方からクラブに出かけていった私達だが、時間を間違えていて、ちょうど入店ができない時に到着してしまい、アウト。ガックリしたまま、キオスクでパリスコープを購入。レストランで食事しながら、友人らに電話してクラブ情報を仰ぐが、どうもピンと来るものがない。

 結局、クラブ行きは諦めて、突如映画に行くことにした。最近はのんびりと映画館に足を運ぶなんてことをしていなかったので、いざ映画に行こうと思っても、見たい映画リストがアタマの中に作成されていない。パリスコープを慌てて読んでも、やっぱりピンとこない・・・・・。

 そんなわけで、年貢の納め時とばかり、"Le Pianiste"(邦題では戦場のピアニスト)を21時半から観ることにした。さすがに話題作であるだけあり、非常に面白かった。感想はここではあげないが、この映画のなかに、今、考えておく、またはやっておく必要のあることのヒントが私に、そして夫にそれぞれの立場においてたくさんあった。

 長くなってしまったが、金曜日の夫の書類消失にはじまり、ついさっきまで、やりたいことができない、というアクシデントに見舞われ続けた週末だった。しかしその結果、やりたいこと以上に、思わぬ収穫がたくさんあった週末でもあった。時に、物事は偶然というカタチをとって、何かを提示してくることがあるが、まさにそんな感じのものをヒシヒシと感じた週末。

 アクシデントに見舞われる度に怒り狂ったりもしたが、とはいえさっさと執着を捨て、違った方法を取ってきたことも幸いしたのだと思う。見えない力が私達を導いたような気がする。

 本日見た映画も、主人公の奇妙にも運命に流されていく様が、なんともいえなかった。“一瞬一瞬が積み重なり人生を築く”という印象。翻弄されているように見えても、ただ受身でいるだけに見えても、そこには積極的か、消極的かの差こそもあるが、結局は個人の選択の結果で形成されていく人生・・・。

 今から10数年も前のこと。夫の友人がパイロットで、プライベート飛行に親しい友人だけを誘ったそうだ。もちろん“お子ちゃま”な夫は大喜びで翌日のフライトを楽しみにしながら、一緒に旅立つ友人らとパーティーをしていたとのこと。そして、フライト当日の早朝に、突然夫にだけ仕事が入ってしまったそうだ。夫はすごくショックだったらしいが、でも気を取り直して、フライトをキャンセルして、仕事に取り掛かった。

 夫が仕事に取り掛かって数時間後、悲報が飛び込んだ。まさに夫が乗るはずだった飛行機が墜落したとのこと。前日にパーティーを楽しんだ友人らは全員死亡・・・・・。

 本日の日記の題名は、『偶然という名の必然』。飛行機事故で亡くなってしまった夫の友人らの死が、必然だったとは言えないし、言いたくもない。が、しかし、夫に起こったことは、実に偶然であり、またそれと同時に必然だったような気がしてならない。

 いずれにせよ、瞬間瞬間が人生の岐路だと思うと、非常に面白いと思うのと同時に、なかなかツライもんだな・・・と思えてならない。

 ナニをどうすればOKというノウハウが一切通用しないのが人生ともいえる。これは、映画"Le Pianiste"を見てますます思った。生き延びようとしてナチの手下になっても、死ぬ人は死ぬ。反抗したままでも生きている人は生きている。おまけに体勢が変われば、ナチは戦犯。そして、ユダヤ人は今までの不幸を逆に売り物にさえできる(しかし、本当に悲惨だったことはあえてここで付け加えておく)。

 何かの社会、宗教、体勢、企業、家族形態に所属して、真面目にオノレの義務を果すとする・・・。しかし、真面目だからといって、死ぬときは死ぬ。では不真面目でいようとしても、死ぬ人は死ぬ。まったく予測がつかぬ人生。不平等だの、差別だの、叫ぶことができても、それが役に立たない事態というものが確かに存在する・・・・、というより、とりあえず存在した、とあえて書いておく。

 モデルというものがない、というのは、非常に私に生きるエネルギーを与える瞬間だ。素晴らしい、美しい、みっともない、悲惨、等に代表される言葉は、結局のところ、相対的なものでしかないと、あらためて痛感する瞬間でもある。

 30半ばになって、ますます原始的なモノにだけ魅力を感じていく自分を再発見した。


Zero |BBSHomePage

My追加