ゼロの視点
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2003年03月14日(金) 現実

 本日、夫の心の姉のような存在であり、いつもいつも可愛い57歳のMJから電話が入った。

 彼女はちょっと前までバルセロナに滞在していた。何故か?。というのも、彼女の1968年生まれの娘Aが、今から10年近く前にバルセロナで謎の死を遂げたからだ。MJには、娘Aと、その弟Bがいた。弟Bは、つい最近までバリバリのトップモデル。今は俳優業それと共に、シナリオライターなどをしている。弟Bは、本当に惚れ惚れするほどかっこいいし、美しい。

 私が夫を知り合った頃には、すでにMJの娘Aは他界していた。1968年生まれといえば、私とたった一歳違い。なんとなく、噂で彼女の娘が自殺したのかもしれない、ということは聞いていたが、こういったことは全く触れないできていた。また、私からは触れるべきではないとも思っていた。彼女が語るように娘Aのことを語ってもらっていたという感じ。

 あらゆる喪失体験というものには、残された者がそれを本当の意味で受け入れていくまでには、果てしない時間がかかると思う。謎の死となればいっそうのこと。とはいえ、友人には、死ではなくて、夫や家族が忽然と蒸発したっきりで何十年も音沙汰のない人達もいる。

 病死で家族と納得が行く上で亡くなった場合でも、色々を遺族には後悔や悲しみがつきまとう。また、空きの巣症候群というように、子供達が巣立った瞬間に、埋めようのない喪失感に悩む母達もいる・・・・。

 さて、MJは、長いこと娘は酔っ払って、調子にのってクスリもやってあやまって窓から落ちて死んだと信じていたし、そう皆に語ってきたいた。しかし、娘の没10年を前に、娘の友人らに支えられて、娘が亡くなった土地=バルセロナに旅立っていったのだった。

 ただバルセロナの街を彷徨っただけではない。娘が亡くなったアパルトマン、そして、落ちたと思われる彼女の部屋の窓、その上、当時娘を検死した医者まで訪れて、すべてを知る覚悟のうえでの旅行だった。

 MJが当時の検死官に尋ねて、資料を見せてもらう・・・・。そこには、亡くなった当時の彼女の身体に、アルコール、およびクスリなど、一滴も見つからなかったと記されていた。そう・・・、彼女は全くその時、ハメをはずしていた訳ではなかったのだ。むしろ、完全に素面でタナトスに魅入り、黄泉の世界へと旅立っていったのだと、MJは納得した。

 彼女曰く、ここまでくるには、本当に長い時間がかかったし、苦しかった・・・。でも、逆に、とうとう現実を自分で確かめたことで、ある意味、気が楽になったと言った。

 さて、そんな彼女がバルセロナからパリに戻ってくると、駅で息子Bが酔っ払ったまま母を待っていた。彼は、母親の言い分を聞くまでもなく、

「ママが見聞したことは、すべて嘘だ。おねえちゃんは、事故で亡くなったんだ!!。こんなこと、絶対に人に話しては駄目だーーーっ!!」と物凄い勢いで母に語ったそうである。

 Bは、物凄いマザコンであり、シスコン。MJの家に家族同然として出入りして以来、もう日本では信じられないくらい、親子で仲のいい写真が山ほどあるのを知っている。Bの目は、いつもママを追い、同時に姉を追っている。

 MJがとうとう現実に対して目を向けた瞬間、逆に息子Bはある種のパニックに陥ってしまったのかもしれない。

 

 そんな今、MJの言葉が物凄く印象に残る・・・。



「長いこと、私がいけなかったのか?、教育が悪かったのか?、果ては、娘のことに気がつかなかった私が母として失格だったのか?、と悩みすぎるくらい悩んで、暗闇の世界にいたけれど、現実を見ることによって、ようやく、一歩自分の足元が見えてきたのよ・・・・」と。

また、彼女はこうも言っていた。

「結局、彼女のそばいても、すでに死ぬと決めていた彼女を止められなかったと思うわ。逆に、これで彼女が楽になったのなら、今は、よかったね、という気持ちを素直に持てるようになったわ」ということだった。

 明日は、彼女の家で大規模はパーティー。彼女の“一歩完全に踏み出した”顔がきっと美しいことだろう。


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