ゼロの視点
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2003年06月16日(月) 母のこと

 実は、今回の里帰りの一番の理由は、母の様子をうかがう事だった。なんとなく電話口でも覇気がないような気がしていたので、それが気になって仕方がなかったのだ。ということで、案ずるより生むが易しとばかりに夫を引き連れての里帰りとなった。

 さて、悪い予感は的中していた。母の変化に薄々気がつき始めたのは今年の初め。とはいえ、その頃、仕事で忙しかったのでなかなか電話なども頻繁にかけられなかった。昨年の11月くらいには里帰りすると、母には伝えてあったが、例の仕事が始まってしまったのと、仕事の予想がまったくつかなかった頃であったので、それを理由に里帰りを延期した。

 私が7歳の時に父が亡くなり、以後、ひとりっこの私と母の二人暮し。私の両親はある意味で非常に変わっているので(特に父)、そういったやり方に知らず知らずのうちに影響されて育つと、なかなか日本社会では生活しにくい性格になってしまうと、思うことが多々ある。

 母と私は35歳違う。もうすぐ私が36歳になるので、母は今年71歳。一年半前まで午後、ずうっとパートをしてきたところを辞めた。それからというもの、だんだんと一人で家に閉じこもり気味になっていったのだろう。彼女が仕事を辞めた頃、同じく私は里帰りしていたが、その時は少し老けたな、という感じこそあったものの、まだカクシャクとしていた。

 が、今回は、電話で気がついたように、実際の母から覇気が消えていてなんだか拍子抜けしてしまった。強烈に突っ込みの鋭い母だったが、毒舌も吐くことなく、妙にかわいらしくなってしまっていて、おまけに物忘れが激しくなっている・・・・。

 ああ、嫌な予感だ・・・・・・。

 母と一緒に暮らす愛犬マルチンは17歳と半年という高齢。母は、いつ帰ってくるかわからぬ娘を待ちながら、それと同時にいつあの世へ旅立ってしまうかわからない愛犬マルチンのことを心配しながら生活しているということになる。要するに、すべてにおいて“受身”なのだ。これじゃ、どんな人間でも、鬱になるか、ボケるかだ。

 そんなところに、私たちが3週間半の予定で里帰り。帰ってきたと思えば、出たり入ったり。そして、母の前では、娘が母が理解する言語とは違うもので会話を、異国人の夫としている。なんとか私も会話に母を入れようと出来るだけ通訳するが、とはいえ、それは充分でもなく、ついつい母は控え気味になっていく。

 私たちを受け入れる母の側にたってみれば、本当に一瞬たりとも私たちとゆっくりする時間なく、私達の猛スピードなペースに引きずられるような毎日だったかもしれない。それでも、なんとか用事があるときは、なるべく母と夫、そして私の3人でフラッと出かけるようにしていたが、それも、ともすれば母の意思で決めたものではないので、何か夢の中で暮らしているような感じになってしまっていたのかもしれない・・・・。

 実家滞在中、母はボケが始まったのか?、というような発言を何度かした。驚いたが、あまりショックはなかった。それらが、ふと私の耳に入る度に、さてどうやって、彼女の生活を受身じゃなくて、能動的にしていこうか?、という私の試行錯誤が始まった。

 痴呆の初期なのか、それとも、一種の生活の大変化によるショックからの発言なのか?、それは、私は医者じゃないので判断つきかねる。帰り際に母に一度脳の検査を受けるように薦めるが、拒絶される・・・・。その拒絶により、思わず私が激怒して、大喧嘩に発展・・・・。あーあっ。

 そんなこともあり、後ろ髪を強烈に引っ張られるようにしながらパリへ戻ってきたのだが、本日母に朝一番で電話すると、向こうも冷静に考えたのか、業院での検査にOKを出してくれた、ホッ。とにかく、早期発見が第一。それにこれが一時的なことであれ、本当の痴呆の始まりでアレ、いずれにせよ母の生活をもっともっとよりよくすることを二人で色々話し合っていく必要がある。それをしなければ、間違いなく一年後には、検査を受けるまでもなく痴呆になってしまうだろう。

 幸いにも、母は、自分がボケた発言をしても自覚がある。自覚がなくなったら、もうオシマイだ。

 友人Yの母は、まだ60代前半。そんな彼女の発言や挙動にあきらかな変化があったのは昨年末だった。そして、家族中が真っ青になり、嫌がる母親を説得してようやく病院へ連れて行くと、そこでくだされた診断は軽度の脳梗塞だった。友人Yの衝撃はものすごかった。

 ただ、幸いなことに友人Yの母は軽度だったので入院することもなく、今はかなりよくなってきている。ボケに似た症状でも、原因は色々ある。ゆえに、何よりもちょっとした変化に気がついたら、病院へ連れて行くことが肝心なのだと、友人Yから教えておいてもらって本当によかった。

 日本滞在中に知り合ったC神父がいる教会へ、気晴らしに出かけてみないか?、と母にずうっと薦めていたが、「面倒くさい」と言って嫌がっていた母だったが、さすがに、このままじゃヤバイと自分でも感じたのか、これもOKを出してくれた。幸い、母は若い頃に洗礼を受けている“なんちゃってクリスチャン”なので、堂々と教会に復帰できるのだ(笑)。

 母が若い頃に、トチ狂ったように突然洗礼したときは、さんざん色々な人に笑われたそうだ。そんな母に私も“イカレ耶蘇”などと、喧嘩すると罵倒していたものだ。が、今回の里帰りで私たちがC神父に出会い、それが縁で母が何十年ぶりにクリスチャンとして教会に行くという不思議な縁に、今回は賭けてみようと思っている。そして、通っていくうちにC神父と色々を彼女が話して、フランスは決して遠くない国だということも、感覚で判ってもらいたいと切実に思うゼロでした。
 


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