ゼロの視点
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2003年09月22日(月) 末期の水

 ぬくもり、匂い、感触、声、挙動、寝息、爪先に至るまで、近くにいなくとも“あたかも目の前にいるように”思い出せることのできる、私の愛犬・マルチン(詳細は、2月22日の日記参照)。

 里帰りをして、実家を離れるたびに、また今度も絶対マルチンに会えると言い聞かせながら、本当にこれが最後だったら・・・・、と揺れる気持ち。

 マルチンがスヤスヤと床に転がって寝ているのを見ると、ついついそれに引き込まれるかのように、私も倒れこみ、そのまま床で寝てしまうことは日常茶飯事。そのうち、マルチンが私の身体の一部に必ずくっついてくる・・・・。

 飽きるほどやったボール投げ。マルチンが飽きるまで、それとも、私が飽きるまで、それは定かでないが、本当によくやった。

 非常に自分勝手で、あきらかに自分の意志を持って、嫌なことは嫌と伝えるマルチン。誰がナント言おうと、自分で自分のスケジュールを決め(気ままに)、庭を縦横無尽に走り、太陽の動きに合わせ、時には日向、時には日陰を選び昼寝をし、夜は、家に入り、遊ぶだけ遊んで、熟睡する・・・・。



 マルチンには、私の母と、私、そしてもう一人の事実上の飼い主兼お友達がいた。それは私の親友M。マルチンが本当に大好きだった人。9月15日の日曜日の午後に、母から一本の電話が入った。

母「マルチンの足が、体重を支えられないのか、スルスルっと、開いていっちゃって、そのまま座り込んじゃうのよ・・・・。どうしようかしら・・・」

という内容のものだった。日本の休日のことなどスッカリ忘れていたので、16日も休みだとは知らず、母親にマルチンを連れて病院に行け・・・、と動揺して意味不明に威張ったふうに命令したのが、ついさっきのように感じる。

 電話を切った後、なぜか不安を口にするともっと事態が最悪になるような気がして、誰にも言わない・・・・、と思った。でも、親友Mだけには、伝えておこうと思って、彼女の携帯に端的なメールを打っておいた。

 その後母は、連休あけにマルチンを連れて獣医のところを訪れ、水もスポイトで飲ませ、元気を取り戻してきたような感じを伝えてきた。まだヨロヨロしているが、それでも散歩もするし、自力で排便は出来ているという。そんな知らせに、“ああ、ちょっと体調を崩しただけなのかな”と思っていた。というより、なにより、そう思いたかったのだと思う・・・・・。

 そして、昨日の夕方にM嬢よりメールの返信があった。タイトルは“マルチンに会ってきたよ”というもの。ドキドキしながらメールを読み始める。何度も何度も読み返す。でも、よくわからないし、わかりたくない。

 M嬢は

『返信をさっさとしちゃうと、嫌なことが現実になってしまうような気がして、しなかったの、ゴメンね。でも、私の妙な願掛けが効いたのかどうかわからないけれど、今さっき、マルチンと会ってきたよ。でも本当にどうしようもなく気になってさっき、ゼロの実家に行ってきた。最期がそんなに遠くないことを痛いほど感じたよ・・・・。誰があんなに元気だったマルチンの寝たきりの姿を想像しただろう・・・・・。涙、涙で、マルチンのことを思い出話としてお互いに話す日は遠くない気がする・・・・。』

 という内容だった・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・。


 日本は夜中なので、母には電話しかねる。こちらの時間で夜中の12時が過ぎるのをひたすら待つ。その間、何もなかったように振舞っている私。そして、日本時間の午前7時過ぎに母に電話すると、さっきまでマルチンが吼えまくって「水をくれっ!!」と暴れていたということ。それを聞いて、ホッとする。たくさん、たくさん、水を飲ませてあげたら、落ち着いて、今はグッスリ寝ているとのこと。母はそんなマルチンの横で私と電話で話しているというわけだ。

 マルチンは、晩年老犬になったせいか、非常に早起きになっていた。母と電話で話しているときは、

母「マルチンがまだ起きてないのよ」
私「でも、ちゃんと息しているんでしょ?。」
母「ちょっと待ってね、今確認してみるは・・・、ああ、ちゃんとしているわよ、よかった・・・・・。」

というような状況だった。

 その電話のあと、堰を切ったように、はじめてこの話を夫にする。話をしながら、まだマルチンは生きているのに、涙がボロボロとこぼれてくる。

 そのあと、M嬢に電話。事態を考えて私はすでに一刻でも早く帰れる飛行機を探していたのだが、どうしても正規料金以外で里帰りするには、最低予約の7日後の出発しかない。ゆえに、現実を見てきたM嬢の証言が必要だったのだ。M嬢曰く、でも、1週間は持つんじゃないか?、という感触(もちろん母も同じだった)を得て、気分的に落ち着いて眠りについたのがパリ時間で午前3時だった。

 浅い眠りのあと、母に電話するとマルチンは既にこの世の犬ではなかった。私がホッとして眠りについたのとほぼ同時に、マルチンは永遠の眠りについていた・・・・・・・。暴れて水を飲んで、グッスリと寝たマルチンは、そのままいつものように、起き上がることはなかった・・・・・。

 享年17歳とほぼ8ヶ月。1986年4月に生後2ヶ月で我が家にやってきてマルチンは、こうして大往生を遂げた。

 大病もせず、死ぬ少し前まで元気に散歩をし、寝たきり老犬となって悲惨な姿を晒すこともなく、晩年大好きだった場所で天国へ旅立っていってしまった。妙にプライドの高かったマルチンらしい、旅立ちかただったのかもしれない。

 今年日本の夏は、暑くなかったと聞いている。それに反してフランスは猛暑だった。実はここ数年、いつもマルチンのことが気になっていて、もし猛暑だったらどうなるんだろう、と密かに恐れていた。そして、今年の猛暑がフランスでよかった・・・・、と安心していた矢先、8月末あたりから日本がじわじわと暑くなっていった。これが我が老犬には、テキメンだったようだ。

 マルチンは、私に本当に語り尽くせないほどの思い出をくれた。彼女が去ってしまった今、本当に寂しい。筆舌に尽くしがたい。M嬢に電話をしてマルチンの死を告げると、彼女は絶句。その後、二人で延々と電話口で泣いた。

ひとつの命が消えたあと・・・・・。今日もそうだが、自然のなす些細な音までが耳に響く。風音にのり、まるでマルチンが天に飛び立っていく過程を、じいっと聴いているようだ。『風の音を聴け』。幼少の頃、父が亡くなった時も同じような音を聴いたような感覚がある。しかし、今回ほど哀しいことはない。





マルチン、本当に素晴らしい日々をありがとうね。私の青春時代、そして苦悩、喜び、その何もかもを共有してくれた、最愛の犬。





Adieuは言わないよ、 Au Revoir、 マルチン。


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