ゼロの視点
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2004年、2005年と、自分の母親のことで秋から年末まで日本で過ごしており、これを口実にちゃっかり、 « 嫁 »として参加するノエルという、面倒くさい家族行事から遠ざかることに成功していた私。
その延長で、2006年もこの行事をブッちぎることは容易だったのだが、ふと、もしかするとこの機会を逃すと、もうあの行事も永遠にないかも?、という予感がして、ま、これが最後になるかどうかは別としても、とりあえず久々に « 嫁 »をやってみるか?、と思いたち、夫と共に久しぶりにRennesに足を運んだ。
2006年のノエルは、誰一人喧嘩したりすることもなく、絵に描いたように何事もうまくいった家族行事となり、私は腰が抜けるほどビックリしたものだった。が、うまくいけばいくほど、《ああ、きっとこれが最後なんだ!》と思えて仕方がなかった私。
この時のクリスマスプレゼントの中に、ペンデュラム(水晶の振りこ)があったので、それを面白半分に使って、一番最初に尋ねたのが、《ノエルの家族行事は今年で最後》かどうか・・・、ということ。で、振り子の結果は、ノンで、“うおおおお、振り子までノンて言ってるよ〜 !!!!”と、独りで妙に興奮したことを、昨日のように覚えている。
とはいえ、振り子に尋ねておきながら、ペンデュラム自体を胡散臭くも思っている私なので、ま、それはそれとして、信じていたわけではなかったが、それ以前に、自分の予感のほうが強かったのが妙に気になっていた。そして、私の予感は見事に当たった(笑)!!!!!。
なんと、夫のママ〜ンこと、私のばばあは、大腿骨が磨り減ってしまい歩行が難しくなったこともあり、12月の初旬に、プロテーゼと呼ばれる人工関節に置き換える手術を受け、ノエルの今も入院中。ゆえに、今年のノエルはなし、という、私の予想通りの結果になったのだった。
今回は夫だけが日帰りでRennesに行き、病院にいるママ〜ンを見舞い、そのままばばあの愚痴だのなんだのを親子水入らずで行ってもらい、わたしゃ独り気ままにパリに残る、というある意味、理想的なノエルになったのだった。
ばばあは死んだわけじゃないし、これから回復して、また元気になってしまうのだろうけれど(←ちょっと残念)、とはいえ、夫にとっては生まれて初めて、ママ〜ンのいない実家というのを体験することにより、実感をもって、彼の妻である私の立場というものがより一層理解できたのでは?、と思われる。
実家に戻れば、いつも最寄り駅までクルマで迎えに来てくれていた私の母も、徐々に年をとり、挙句の果てには認知症になり、いつのまにか迎えにくるクルマも無くなり、実家には誰もいなくなってしまった私だが、夫も同じ。
Rennes駅から歩いても可能な距離にある実家なのに、息子がパリから帰ってくると駅には必ず張り切ってクルマで迎えに来ていたばばあ。が、今回は、うるさいくらいの存在感のばばあも病院のベットの上。そして、主を失った無人の実家が真っ暗のまま夫を迎え入れるわけであり・・・・。
こういう機会を目の当たりにすると、さすがに、双方の親が着実に老いていくのを認識せざるを得ない・・・・・・。
こうなってくると、個人的にはばばあとは出来る限り関わりたくないとはいえ、ここで死なれたり、もっと体調が悪くなられたりすると、それはそれで大変なので、やっぱり、それなりに遠くで元気でいてもらいたいと、“よい嫁”のように、義母を想うこともあるゼロでした。
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