ゼロの視点
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昨年の10月9日からずうっと日本滞在。あとちょっとで4ヶ月・・・、どうせならこのままずうっと居座ってしまうか?、なんて気分になりかけてきていたものの、どうにか本日の夕方、パリに舞い戻ってきた私。飛行機が予定より1時間も早く到着してしまったため、まだ迎えに来ない夫をまちながら、ボーっと空港内を行きかう人を観察する。
頭はまだ完全に日本な私とはいえ、これからパリの自宅へ戻るなら鍵が必要!、ということでバックの中を探してみるものの、まったく見当たらず。着ているコートのポケットに手を入れると、日本の自宅の鍵だけはちゃんと入っている・・・・・。
おい、ゼロっ、やる気あんのか?!と、自分で突っ込んでもあとの祭り。出発までにすることが山ほどあったこともあり、いかにすべての用事をこなしたうえで、実家を閉めてパリに戻るか・・・、ということばかりを考えて動いていたせいで、パリの自宅の鍵を持ってくることなんてすっかり忘れていたことに気づいた。
私が離れてしまえば、ただの空き家と化す実家なので、4ヶ月弱も暮らした後は、それなりに整理&掃除して、虫がわく、カビが生える、食品が腐る、灯油やガス漏れる、漏電などのトラブルが不在期間に発生しないように、いろいろと努力しないといけないのだ。
出発直前には、家のことを熟知してくれている友人2名がやってきてくれ、キッチンと風呂場を掃除してくれて、本当に大助かり、ううーん、感謝感激♪。出発1週間前から、外出をひたすら控え、家を閉める作業と日本を離れるまでにしなきゃならない役所&銀行関係の手続きなどに徹底するのが常なのだが、今回はいつも以上に大変だった。
というのも実は、私がとうとう実母の成年後見人になったからなのだ。海外在住者が後見人などできるのか?、という理由で、裁判所の書記官に嫌味を通り越す、脅しにも近い言葉すら浴びせられ、一時はどよーーんと真っ暗になりかけたものだったが、それでも戦い続けて、なんとか申し出を認めてもらうところまで漕ぎつくことができた。
後見人として認められる審判が下ったことで、一安心できたとはいえ、後見人になった時点からスタートする色々な煩雑な手続きや面倒くさい書類作成作業などが山積み。ということで、本当に終わりがない・・・・、これの任務を終えることができるのは、実母が亡くなったときなのだ、と思うと、なんともいえない感慨が沸き起ってくる。
そもそも昨年の10月下旬から11月いっぱいの6週間は、夫も私と一緒に日本にいたのだ。夫は11月下旬にパリに一足早く戻り、その3週間後、私は用事をすませてパリに戻る、というのが当初の予定だった。が、後見人になるための申し出に手間取ったことで、夫の3週間後ではなく、実際にはその2ヵ月後にパリに戻ることになってしまったのだが・・・。
夫としてみれば、肩透かしをくらった感じだったのかもしれないが、私としたら、条件付きの日本に滞在延長とはいえ、それでも久しぶりの年末年始を日本で過ごし、くそばばあこと、死ぬ死ぬといいながら、相変わらず元気すぎる、性格の悪い姑のいるフランス某地方都市に、クリスマスだからというつまらん理由で足を運ぐ必要もなくなり、これはこれでちょっと嬉しい誤算となった♪。
後見人のことがどうなるかまったく目処がたたないままの年末年始で、不安になろうとおもえばどん底まで不安になれただろうに、それなりに全力で遊んでいたおかげで、楽しい日本での生活を満喫できたように思う。親はグループホーム、夫は海の向こう、手のかかるペットや子供がいるわけでもない、《ゼロ野放し状態》♪。
日本最終日の晩は、すでに掃除してピカピカになってしまった風呂場を使いたくないのもあって、家からさほど遠くないところにあるスーパー銭湯系の温泉へ友人とGO。ただ湯につかるだけじゃなく、アカスリ&マッサージもお願いして、ツルツルピカピカになってパリに戻ってきた私。だが、こういうふうに、最後の最後の瞬間まで日本でいかに楽しみながら義務を果たすか・・・・、ということだけい頭を使ってきたツケが、冒頭に書いた、パリの自宅の鍵を日本に置き忘れてくる、という事態を招いた。
おまけに、夫も夫で、なんと私の帰国1週間前に自宅の鍵を友人宅へ置き忘れてきたままだという・・・・。おまえもかぁぁぁああああっ?!?!?!、ということで、いざという時だけに使う予備の鍵を、しばらくの間、二人で共有する羽目になったゼロでした・・・・・、あーーあ・・・。
※都内のとある書店にて
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