ゼロの視点
DiaryINDEX|past|will
2007年の夏に、癌が再発して闘病中だった友人DNが、緊急入院した・・・・、というニュースを耳にし、考えに考え抜いたあげく、彼女がいる病院へ、夫と一緒に足を運んでみた。
私たちが足を運んだ前日に、DNの見舞いにった人からの情報だと、DNはかなり弱っていたけれど、意識もちゃんとあり、簡単な会話もできたとのことだった。が・・・、実際に私たちが病院に到着した数時間前から、DNの意識はなくなっていた。
モルヒネを処方され、こん睡状態にある友人の姿を見て、ボロボロと涙が出てきてしまった。それにつられて、夫も“うっ”と嗚咽し、これにつられて、朝から病室にいるという、DNの叔母までが泣き出してしまった。この叔母は、DNの母親がわりで、恐らくこの日は、朝からずうっと泣いていたのだと思われる。
彼女の余命については、推測したりすることを避けてきた私だったが、ここまで決定的な姿をみてしまって、 もうすぐDNが、この世からいなくなることを痛感。脳にたまった血流を吸い出すために、彼女の鼻に通された透明な管をの中を、どす黒い血が延々流れ、ベット脇にあるボトルの中に吐き出されていく。
そこに、友人PGがやってきた。彼もまた深刻な表情で病室に入ってくるや、DNに話しかけるように彼女の手をとった時、PGの顔色が変わった。《ゼロっ、DNの手が冷たい!》というので、私も彼に導かれるようにDNの手を握ってみた。
なんという冷たさ・・・・。どんなに長いこと彼女の手を握っても、私の体温に応答し、彼女の手が温まり始める兆候すらない。確実に、私たちの目の前で、彼女は違う世界へ旅立ち始めている・・・・、ということか?。
毎週日曜日の夕方、夫がやっているボランティアの太極拳教室に、機会をみつけては、DNは友人MGと一緒に顔をだしていた。
今年の4月26日に、ひさびさに教室に顔をだしたDNは、最初は皆と一緒に太極拳にトライしたものの、さすがに体力が続かず、ベンチに座りながら、上半身だけ皆に合わせて参加した。それでも最後にはつらくなったのか、ベンチに横たわりながら、皆の姿をながめていたDNだった。
体育館をうろちょろしていた私を、DNが呼びとめるので、彼女の隣にすわり、おしゃべりをしはじめると、彼女が徐々に元気になってきたのがわかった。そして、さっきまで横たわっていた彼女がおきあがり、普通にベンチに座り直し、表情も活き活きとしだしたDNと、時間を忘れて話し込んでいた私。いつまでもいつまでも彼女とこうして話していたいと思ったほど・・・・・・・・・・・・・・。
が、これが本当に彼女と最後の会話になってしまった。私たちが病院を訪れた日の深夜、DNは永遠の眠りについた、享年52歳。
後日聞いた話だが、彼女が亡くなった時、友人らはそれぞれのやり方で彼女が旅立ったメッセージを受け取っていたことがわかった。一緒に太極拳に参加していたMGは、夢にDNが出てきたとのこと。病に倒れるまで、ずうっと自慢だった長い髪と、スーツとハイヒールに身を包んだDNが颯爽とMGの前に現れたかと思ったら、スッとDNがパソコンの前に座り « Au revoir ! (じゃ、またね) »とキーボードを打って去っていったとのこと。
またDNと20年来の友人だったVGは、DNがいつもつけていた香水の香りが突然したので、これでDNが亡くなったのだ・・・・、とわかったとのことだった。
そして私たち・・・・。床につく直前に、夫と私のどちらからともなくDNのことを話しはじめたあげく、ふと《今、この瞬間にDNが亡くなったような気がする・・・》と、これまた二人で口を揃えて発言し、時計をみると午前1時3分。翌朝、この時刻に、DNが本当に亡くなっていたことを知った私たちだった。
DN、今まで本当にお疲れ様でした。これからはゆっくり休んでください。そして、色々とありがとう。あなたのことは忘れません、というか、忘れようがありません。
|