流れる水の中に...雨音

 

 

少ない可能性。 - 2003年08月18日(月)




ある人の日記を読んでいた。

彼女は二十歳のときに 二つの夢があった。
一つはアントニオ・ガウディのサグラダファミリアを見に
スペインへ行くこと。
もうひとつはコウテイペンギンを見に南極へいくこと。

彼女の夢の片方は あっけなく叶ってしまったらしいけど
(おそらくスペイン)
もうひとつは当分叶いそうにないと言う。

「それでもそれは捨てないで、
ぼちぼちやっていこうかなぁって考えてる。
可能性を信じてやっていく、って程格好良くはないけれど、
不可能と思われるものも捨てたりしないって
スタンスなのかなぁ。」『戸惑うペリカン』 7月29日より


人により 捨ててゆくものと拾ってゆくものの量や基準も異なる。
私なんぞは いつからか いや昔からかな 
要領のいい生き方ばかりしようと
物事の上澄みしか掬わなくなった。
上から順番に可能性の強いものだけを選びとって 
あとは捨ててきたような気がする。
だから物事を1から10まで堪能することなんて まずなくて
1から7までの物事があちらこちらにゴロゴロと転がってる。
そうやって私は 勘違いした自己満足に浸っていたような気がする。

なぜだろう。
叶う可能性の少ないものを信じるくらいなら
他の選択肢を採用しようとする。
そう。信じきれないんだ。
何ごとも。 自分の判断さえ。

何かをずっと信じ続けることができるということは
とても勇気のいることだと思う。
何かを信じて全身全霊で打ち込んだとて
すべてが必ずしも叶えられるとは限らない。
だけど それで腰が引けてしまって投げ出しては
なんにも形にならないし 結果もでない。
中途半端なものには 中途半端な結果しか
与えられない。そりゃ 当然だ。

だけど 私には彼女のように強くなれない。
彼女のように 少ない可能性に自分をかけることができない。
その選択肢を採用した自分の判断を信じきれない。
私は私自身を信じては居ない。


小学校のころから「粘り強さがない」と先生に批判されてた。
それは大人になっても まだ治っていない。

彼女のように 沢山の可能性を抱えながら
同時進行というか 
それらはそれらとして 生かしておくという
強さも ある意味での器用さも 私にはなくて
ただただ 彼女の言葉に驚かされ
そういう人もいるのだなあと 尊敬してしまった。





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