流れる水の中に...雨音

 

 

真実。 - 2003年08月20日(水)




茶道をはじめて もう十数年経つ。
長く習っているから お茶名ももってはいるけれど
なかなか真面目に取り組んだのは 最近だから
全く奥まっていない。
お点前は骨組みであり そこから自分で勉強して
肉付けをしていかねばならない。
だから私のお点前なんて まだまだ骨張っている。

最初 始めた時は周りの皆が習っていたから なんていう
主体性のない理由からだったけれど
結果的に私が一番長く続いていたりするのは
好きだったからではなく 単に
お舎弟さんが少ない我がお稽古場から
立ち去ることに 気が引けたからだ。

しかしながら結果的に 長く続けてきたことが
意に反して 自分のものになっていたりする。
たぶん何ごとも そうなんだろうと思ったりする。
結果と それに至る原動力は矛盾していたりする。

星新一のショートショートに
ある男性が会社のお金を横領しようと企む話がある。
彼はより多くのお金を横領するためには
自分が皆に信用され 沢山のお金を動かせる立場に
立たねばならないと思い 必死に仕事をがんばる。
彼は周りに信頼され さらによい立場に立たされる。
それでも彼は欲をだし もっともっと沢山のお金を
動かせる立場になれるように努力する。
そう。彼の目的は 会社のお金の横領だ。
しかしながら結果的に彼は その仕事への熱意や
周りから信頼を認められ その会社のトップになってしまう。
そして彼は振りかえる。
より多くのお金を横領しようと思っただけなのに、と。

とてもシニカルだけれども
何ごともこんなもんなんだろうな と思ったりする。

人と人もそうだ。
お互いに激しくぶつかりあわなくても
共に生きることが大切なのであって
その過程に積み上げられた歴史のようなものは
どんなに激しい一時の感情よりも重たい。
心ここにあらずとも その形を維持するという努力こそ
結果的にはそれがなんらかの成果になるのだと思う。

生きるということは皮肉なもんだなと思う。
そのときどきの真実は 必ずしも 
結果的な真実であるとは限らない。

そして ゲーテはいう。
「実りの多いものだけが真実である」と。








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