2003年07月10日(木) |
ウィリアム・サローヤン |
仕事は1時ちょっと前に発送しました。
相方は、次女を連れて 宮城と岩手の県境あたりまで遊びにいったので、 私には、いつもよりちょっと長い 「ひとりの時間」ができました。
そうだ、「黄色い本を買いにいこう!」
てなわけで、バスに乗りました。
「黄色い本」は、高野文子さんのコミックで 卒業・就職を前に、学校の図書館で借りた「チボー家の人々」を 一生懸命に読む、新潟の女子高生の物語です。 別に普通の書店で買ってもよかったのですが、 ここはひとつヴィレッジ・ヴァンガードで買いたいと思い、 アティ郡山5階のお店に行きました。 あそこなら間違いなく1冊あるだろうと踏んだ故ですが、 それどころか「平積み」になっとりましたわい。 手塚治虫文化賞受賞効果、かもしれませんが、 まあ、買いやすいならナンだってヨロシ。 V.V.名物の赤い移動式梯子を使わなくて済むのは、 寂しくもあり、楽でもありです。 (「黄色い本」と「文庫版るきさん」以外の高野作品は、 ちびの私には梯子なしでは届かない場所にありました)
チェブラーシカグッズもいろいろ出揃っていたので、 チェブの顔絵とロゴが入った両手マグと チェブの顔が目立たなく刺しゅうされた 黒い小銭入れも買いました。
それらをかごに入れて、ぷらぶらと見て歩いたら、 海外小説の書架に、 背表紙に「ヒューマン・コメディ」と書かれた ハードカバーの本を見つけました。 あらま。 私のバッグの中には、その文庫版が入っていて、 バスの中で読みながら来たところです。 家計を助けるために、 年齢を2つサバ読んで電報配達の仕事をする 礼儀正しく快活な少年のお話で、 ウィリアム・サローヤンの代表作でもあります。 「人間喜劇」のタイトルで、既にかなり以前に出ていましたが、 それを装丁し直したもののようです。
ところで、私が持っていた文庫版は筑摩書房の いわゆる「ちくま文庫」と呼ばれる一冊で、 書架にあったのは、晶文社「文学のおくりもの」シリーズです。 読む分には文庫でも一向に構わないけれど、 好きな本は、ハードカバーで手元に置いておきたいものです。 ちょっと高い(1,800円)けど、思い切って買おうと…思ったら、 出版社が違うせいもありますが、訳者が違いました。 どんなだ?と思って中を見たら、 失礼ながら、「あ、これなら要らない」と思い直し、 また書架に戻すことになりました。 単に好みでないなあと直感しただけで、 別にヘボ訳というわけではありません。 ……どころか、私が初めて読んだ 「ヒューマン・コメディ(というより「人間喜劇」)は、 図書館で借りた、この人の訳のものだったはずで、 いつも持ち歩きたいという理由で文庫を買ったくらいでした。 (そのときはなぜか、訳者が違うことは気にしませんでしたが)
単なる好みで、 翻訳者の名誉を傷つけかねない日記をつけるのは 忍びないので、 (んじゃ書くなって話ですが) 原文がすらすら読めれば苦労はないのにと ちょっと悲しくなりました。 訳の違いで最も気になったのは、 電報局長が、金の無心の電報を打とうとする青年に 「幸運のゆで卵」と小金を渡すシーンでした。 文庫の関汀子さん訳の方では、 局長の人情家ぶりと、青年の素朴な感謝の気持ちが じっくり伝わってきたのですが、 「文学のおくりもの」の方は、 とってもビジネスライクに映ったのです。 これとて、原文を読みこなす力がなければ、 どちらがより的確なのかがわかりません。
それはともかく、この物語のまえがきには、 サローヤンが、 この物語を母親へ捧げるという旨の これまた名文が添えられています。 英語が得意でない彼女も読めるように、 この物語を、 誰かがアルメニア語に訳してくれればいいな。 そして、アルメニア語翻訳版を 母が自分に聞かせてくれれば…と。 (アルメニア移民の二世であるサローヤンは、 アルメニア語は全くわからないそうですが) 1943年に書かれたこの物語が、 既にアルメニア語になっているのかどうか、 調べてみてもわかりませんでしたが、 まあ、何とかなったでしょう、きっと。
欲しかったマンガも買い、読みかけの文庫もあり、 お腹もすいていたので、 それらを読みながら、 コーヒー屋さんでサンドイッチでも食べるか、 いつも一緒の次女連れでは行きにくい オムレツ屋さんに行くか…と悩んだ末、 駅ビル内の「さぼてん」でカツ丼弁当を買って、 家で食べることにしました。 帰りのバスの中のお友達は、「黄色い本」です。 「チボー家の人々」は1巻で挫折した私でも、 「黄色い本」は、同時所収の短編まで含め、 1.5回読めました。 かくして、またまた「座右の書」がふえ、 自分自身はどんどん左傾化する私であります。 (もちろん他意はありません↑)
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