2007年10月17日(水) |
テレビの調子がめちゃ悪い |
小学校5年生の頃、家のテレビが壊れました。 一応、絵も音も出るのですが、 カラーのはずの画面から、 色がきれいさっぱり、洗ったように落ちてしまったのです。 白黒というか、いわゆるセピア調で、 何を見てもクラシック映画の趣となりました。
当時はまだ白黒テレビというツールも現役だったはずで、 NHKの受信料も、 「白黒」と「カラー」に分かれていたと思います。 あの状態でカラーの受信料(少し高い)を払うのは 不本意そのものだったろうと思います。
その後、祖父が懇意にしていた電気屋さんから 新しいものを買いました。
どれぐらい懇意にしていたかといえば、 メーカーのパーティーの招待状が来たほどです 小学1・2年の頃、連れていってもらい、 1年目はゲストのジェリー藤尾が、 客席を歩きながら歌っている最中、 なぜか私の小鼻をつまみました。 2年目のゲストは、CMにも出演していた桂三枝で、 「1・2・3・4・ごくろーさん」という 例のフレーズを一緒に公衆の面前で言わされました。
しかし、何で大人というのは、 子供は勝手にいじったり、 さわったりしてもいいもんだと思っているんでしょうか。 いや、「いたんでしょうか」が正解か。 当節そういう気ままな行動に出ると、下手すれば警察沙汰ですね
ああ、そうか。1970年より後に生まれた人には ほとんど「歴史上の出来事的」な話題だよな。 ごめんなさい。
まあ、とにかく新しいテレビ買いました。 ちなみに壊れたテレビは、買った時期は特定できませんが なつかしの、脚がついたタイプのやつでした。
そこそこ大家族で、 家族数−2という部屋数の家に住んでいたのですが、 諸事情で家族が1人減り…としていくのに 反比例するかのように、 買い替えや買い足しがむしろ頻繁になりました。 値段が下がってきたのと、 ライフスタイルの変化ってやつでしょう。 とはいえ、私が小5のときにうちにやってきたテレビは、 結局20年近く働いてくれたと記憶しています。
「三丁目の夕日」的世界でなく、 どっこい、昭和50年代の地方都市でも、 テレビにまつわる家族の物語はあるものです。
たしか長女が5歳の頃、 旅行先でお気に入りのアニメを見ていて 「(うちのと)色が違うね」と言ったことなどもあり、 その年か、あるいは翌年ぐらいに買い換えました。 当時、うちのテレビも、壊れたわけではないものの、 幾ら調節してみても、「赤」が強く出過ぎ、 画面全体ににじんでいるみたいに見えて、 非常に目に厳しいことになっていたのです。 私がひとり暮らしを始めるに当たって買ってもらったものなので、 都合8年ほど使ったでしょうか。
そして、そのとき買い換えたテレビが 平成も19年、21世紀も板についてきた今日このごろ、 10年目にして、不調を呈してきました。 何と、つけても絵が出てこないのです。 ひょっとして放送事故か何かかと思い、 ほかのチャンネルにかえたりしているうちに 何とかついたのですが、 だんだんと、絵が出てくるまでにかかる時間が 長くなってきました。 最近は、見たいものがあったら、 5分前には電源を入れておかないとおっつきません。
無言(音声は問題ないけど)の買い換え勧告と とらえるべき現象ですが、 最近またテレビ高くないですか? いや、機能を考えたらむしろ割安なんだという 識者の正論・意見は、この際聞きません。 絶対値が高いものが多い気がするのです。 4年後の地デジ放送のことを考えると、 あんまり適当にも買えないし、 いよいよ全く絵が出なくなるXデーまで、 何とかつき合っていこうとは思っています。
「総セピア」「赤にじみ」「画面ストライキ」 生涯で3度、テレビの終末期に立ち会ったけれど、 症状が1個もかぶっていません。 機械に強くないので、 故障のメカニズムは全く理解できないのですが、 何か、テレビが非常に人間臭い機械に思えてきて、 いとおしくさえなります。
|